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引き回しの刑…?

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としか思えないほど、本日は早朝から、あちらこちらへと引っ張り回されました。

それも仕事と割り切れば納得する他はないんですが、弱音が胸中に充満するばかり!?

ところが、そんなサイケおやじのダメっぷりを痛感させられたのが、本日の稀勢の里でした。

ご存じのとおり、前日の取り組みで大怪我したにも関わらず、今日もクールに出場しただけでも凄いのに!

きっちりガチンコをやって、当然の敗戦ですよ。

負けるは誰だって分かっているし、本人の悲壮な決意は、周囲にも「痛いほど」なんて言葉じゃ~失礼千万でしょう。

正直、だからこそ休場するのも立派なスジの通し方であり、そうなっても責められるはずも無いのに……。

一方、優勝を争っている照ノ富士は、これ以上ないほどダーティな仕掛けで勝利を掴むという、それもまたプロなればこその方法論と思いたいです。

なぜなら、これで照ノ富士は大悪役として、明日の土俵に立つのですよ。

それに立ち向かう稀勢の里は、万に一つの勝ち目も無いどころか、下手したら力士生命の危機にさえ!?

遮二無二盛り上がっていた今場所が、まさにこんな展開で強烈な大団円を迎えようとは、誰が予測出来たでしょう。

この、全くのハードボイルドには、己の弱さを痛感させられたサイケおやじです。

うむ、明日は明日、これから帰宅して、何をするべきか悩むのも、贅沢な幸せと思うばかりです。

 


永久不滅のプレイガール:應蘭芳の巻

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■ドラマチック・ブルース c/w チャイナタウンの夜 /  應蘭芳 (日本ビクター)
とにかく強いキャラクターが揃っていた「プレイガール」のレギュラーメンバーの中でも、既に「失神女優」という異名を得ていた應蘭芳(おうらんふぁん)は、まさに期待を裏切らぬ存在として、同番組スタート時には未だ中学生だったサイケおやじをもナチュラルにして濃厚なフェロモンでKOしてくれた女優さんでした。
それは中国系ハーフならではのセクシーな佇まいと立振る舞いに華があり、台詞回しの思わせぶりや凛とした表現の使い分けの妙、そしてあらためて言うまでもありませんが、豊満にしてメリハリが素晴らしい肉体の魅了は絶大でしたから、これで何も感じないという男は嘘吐きと断言したくなるほど!
しかも、彼女は「プレイガール」登場以前の昭和41(1966)年、既に人気テレビ特撮番組「マグマ大使(フジテレビ)」のモル役として、我々リアルタイムの少年達の前に姿を表していたのですから、その興奮度の高さは、皆様ご推察のとおりです。
で、やっぱり「プレイガール」における應蘭芳は、そのまんまの役名:蘭芳(らんふぁん)、あるいはヨシコとして活躍し、定番衣装のミニスカ系のチャイナドレスではスリットからの美脚の大サービスに加え、豊かに膨らんだ着衣巨乳、さらには時としてスリップ&水着姿等々を披露し、また当然ながら危機に陥っての縄姿には、グッと惹きつけられますよ♪♪~♪
そして、ここぞっ! という場面で男を篭絡する手練手管もイヤミがありません♪♪~♪
しかし、劇中の應蘭芳は決してそれだけじゃ~なくて、私生活では現実にA級ライセンス所持のドライヴィングテクニックや得意のスキューバ・ダイビング等々を活かしたアクション、しっかりとした演技力を伴った女としての心情演技も見どころであり、例えば第10話「女心に手錠をかけて」は應蘭芳の魅力が全開した傑作として、サイケおやじは特に好きなエピソード♪♪~♪
残念ながらパッケージ化は現在までありませんが、幸いな事にCS「東映チャンネル」で今春からスタートした「プレイガール」の再放送がありますし、4月に入っても4日と6日に再々放送もございますので、ぜひっ!
さて、そこで気になるのが歌手としての應蘭芳ですが、サイケやおやじが確認しているだけ4枚のシングル盤が残されていて、もちろんその諸作は所謂フェロモン歌謡、というよりも、リスナーのエロ心をダイレクトで刺激する企画物で、例えば昭和46(1971)年に出した本日掲載のシングル盤A面曲、作詞:佐伯孝夫&作曲:鈴木庸一、そして編曲:近藤進が提供の「ドラマチック・ブルース」にしても、サスペンス調のジャズ系劇伴(?)をバックに濃厚な語りを聞かせるという展開で、それに期待どおりの妖艶な台詞回しで応える彼女の演技力は、濃厚に咽び泣くテナーサックスと抜群の相性を披露しています♪♪~♪
また、同じ製作スタッフによるB面「チャイナタウンの夜」は曲タイトルどおり、巧みに中華メロディを入れたミディアムテンポの歌謡曲で、失礼ながら、決して歌唱力は秀でているとは言い難いんですが、各所で聞かれる中国語による語りがニクイばかりに良い感じ♪♪~♪
あぁ~、それにしても当時、こ~したレコードをスピーカー鳴らして鑑賞するリスナーの気持には大いに共鳴するサイケおやじではありますが、なかなか勇気も必要かと、気恥ずかしいわけでして……。
実は彼女が出したレコードや楽曲は、それが行き過ぎたようで、放送禁止が多かったそうですが、さもありなんと実感する次第です。
最後になりましたが、「プレイガール」の大活躍が強い印象を残した應蘭芳は、実はリアルタイムの撮影中、物語展開と直接関係の無いようなセクシー場面には抵抗感を覚え、反発もしていたという噂も残れされていますが、それでも実際に作られたエピソードの数々では決して出し惜しみをしていない、それこそが尊いと思うばかりです。

永久不滅のプレイガール:緑魔子の巻

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■酔いどれ船 / 緑魔子 (東芝)
昭和44(1969)年春、「プレイガール」が新番組としてスタートするという話題は、東京ローカルの「12チャンネル」であったにもかかわらず、なかなか期待されていたように思います。
ただし、その報道のメインはスポーツ新聞の芸能欄が中心で、だからこそのエロいテレビドラマという扱いが最初から強く滲んでいたように思うのは、既にその頃からプロレス大好き少年であったサイケおやじが毎日愛読していた「東京スポーツ=東スポ」の芸能紙面からの情報に感化されていたからで、それは説明不要、「東スポ」ならではの切り口が思春期にはジャストミートの刺激であった事と無関係ではありません。
そこにはレギュラー出演メンバーの顔ぶれ紹介が当然あり、全員がキュートでセクシー、そして「色気」と「怖さ」という、最も女性を象徴しているであろう個性を強く演じられる女優さんが揃っていた中にあって、サイケおやじは殊更緑魔子に大いなる好奇心、平たく言えばスケベ心を刺激されていました。
なにしろ当時の緑魔子と云えば、悪女・非行少女・場末の風俗嬢・ミステリアスな情婦等々を演じる個性派としてのイメージが確立していたようにサイケおやじには思えていましたし、実際週刊誌のグラビア等々で接する彼女の小悪魔的な佇まいやヌードフォトには、前述した「怖さ」と「色気」が並立していた記憶が今も鮮明です。
もちろんサイケおやじは中学生でしたから、そ~した演技を実際に銀幕で観ていたわけじゃ~無いんですが、既に「緑魔子」という名前と文字列には、刷り込まれたそれらが濃厚だったんですが……。
さて、実際に放送された「プレイガール」では、「男嫌いのマコ」という設定になっていて、レギュラーメンバーの中では所謂三枚目っぽいイメージで活躍していましたですねぇ~~!?!
それでも劇中ではシャワーシーン~バスタオル姿でのアクションとか、スリム&キュートな肢体を拝ませてくれましたし、衣装にしても、当時の最新流行だった「サイケ」を上手く着こなすというセンスはピカイチ♪♪~♪ 
ヘアスタイルやメイクについても、見事なお手本を示していましたですよ♪♪~♪
ところが当時は東映を離れてフリーとなっていたらしく、つまりは相当に忙しかった事から、レギュラー扱いだった20話中、僅か8本しか登場しておりませんし、役割も軽いものだったのは残念……。
このあたりの事情について、劇中では「海外出張」とか「お見合いで秋田へ帰った」等々の説明(?)的台詞もあるほどでしたから、やっぱり期待と存在感は各方面で強かったと思われます。
そして皆様ご存じのとおり、緑魔子はこの時期からアングラ芝居に傾倒し、ますます「飛んでる女」の印象を強くしていったわけですが、さりとて「プレイガール」の初代レギュラーメンバーであったキャリアは些かも薄れるものではないと確信する次第です。
さて、そこで本日掲載したのは昭和45(1970)年に発売された、彼女にとって、おそらくは最後であろう大衆的歌謡曲のシングル盤で、特に作詞:寺山修司&作編曲:田辺信一が提供したA面曲「酔いどれ船」は、今も人気のレア・グルーヴ歌謡!?
最初はアコースティックギターのアルペジオや陰影の滲むストリングスをバックにした正統派歌謡フォークの湿っぽさがニクイばかりで、それがサビでは、いきなり暴れるオルガンに導かれ、さらに強過ぎるパーカッションに煽られ、テンポアップしたリズムとビートにノセられてグリグリの節回しを聞かせるという展開は、再びシンミリシミジミの風情に収斂していくという素晴らしさですから、緑魔子の幾分不安定な歌唱が逆説的にイキイキしているんですねぇ~~~♪
これぞっ! 緑魔子♪♪~♪
まさに目からウロコの傑作と断じますが、残念ながら大ヒットには至らず、それゆえに今も人気盤になっているんじゃ~ないでしょうか。
緑魔子のレコードはシングル盤だけでも4~5枚残され、中古市場でもそれなりに出回っていますが、この「酔いどれ船」こそは機会があれば、ぜひお楽しみいただきとうこざいます。
ということで現在、緑魔子は強過ぎる個性ゆえに一般的な認識が薄まっているように思いますが、「プレイガール」だけではなく、CS「東映チャンネル」は最近でも「牝」とか「男なんてなにさ」という、なかなか面白い出演作品が放送されていますので、このあたりもご覧くださいませ。
「しぶとさ」と「可愛さ」の演技を分け隔てなく見せて=魅せてくれるのが、緑魔子の女優としての本質であるならば、「プレイガール」での「男嫌いのマコ」も、決して忘れられるものではなく、むしろひとつの代表作だと思っているのでした。

気になりはじめた叶友子

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■初体験 c/w あなたがいるなら / 叶友子 (ポリドール)  
この不貞腐れ気味の面立ちが好きだぁぁぁぁ~~~!
と、いきなりの愛の告白をしてしまうサイケおやじではありますが、その恋愛対象たる叶友子については、何も知るところがありません。
実は掲載のシングル盤は大昔に某ネットオークションで纏め売りされていた中にあった1枚でして、決してこれを目当てにしていなかった事が逆に幸いしたというか、告白すれば、落札したっきり、長期間放置していた件のレコードの山を最近になって見直していたら、このジャケ写ポートレートに
何かを感じてしまったのが、その真相です。
で、実際に針を落としてみれば、作詞:千家和也&作曲:長沢ロー、そして編曲:馬飼野俊一が提供のA面曲「初体験」が、なんとっ!?!
なかなか山口百恵っぽい感じで、とにかく叶友子の声質や節回しが山口百恵に似ているというのが最初であれば、曲想そのものが、山口百恵を尚更に意識した仕上がりになったのか!?
まさにひとつの「鶏と卵」みたいに思えてしまうんですが、う~ん、その真相は……???
しかも、ご丁寧な(?)事には、発売されたのが昭和48(1973)年なんですから、こりゃ~、ますます山口百恵のデビュー期と重なる実情があるみたいで、これこそ芸能界のミステリと書いてしまえば、大袈裟過ぎるわけですが、それにしても、このジャケ写の叶友子は、およそアイドルらしくないわけで、だからこそサイケおやじはテレビ等々でも接した記憶がありませんし、楽曲そのものも、ここで初めて聴いたというわけです。
そして、そんなこんなを踏まえつつ聴いたB面「あなたがいるなら」が、これまたクリビツテンギョウのファンキーロック歌謡になっていて、こちらは作詞:千家和也&作曲:井上忠夫からの提供なんですが、馬飼野俊一のアレンジが強烈なリズムギターのカッティングやド派手なパーカッションを用いたイケイケ調ですから、これもまた同時期の山本リンダ夏木マリ、あるいは欧陽菲菲あたりの路線を狙ったものなんでしょうかねぇ~~~!?
いゃ~、本当に驚かされたシングル盤でしたから、この他にも叶友子のレコードを探索せずにはいられませんよ♪♪~♪
ということで、洋楽の世界では、他のミュージシャンによる、例えばビートルズっぽい歌や演奏ばっかりを集めたオムニバス盤が編まれていたりするのですから、我が国でも「山口百恵」をキーワードにしたコンピレーションアルバムが出されても不思議ではないし、もしもそれが企画されるのであれば、この叶友子の「初体験」必ずや採られるものと確信しております。
最後になりましたが、サイケおやじには所謂「美女」とか「セクシー&フェロモン」等々の系統に拘ったジャケ買い趣味があり、他にも「猫顔」とか「白いセーター」とかに纏わるブツも蒐集してしまう癖があるもんですから、今度は「不貞腐れの面立ち」がそこに加わってしまいそうな予感がしております。
う~ん、なんか……、本気になりそうだなぁ~~~~。

これっきりでも素敵な嵐レナ

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■感じる / 嵐レナ (テイチク)
そのプロフィールや芸歴等々に不明なところがあっても、レコードに刻まれて残された歌に魅力があれば必ずやそれは評価され、殊更リアルタイムよりも後追いで再発見された場合であれば、人気も不動(?)になってしまうのが昭和歌謡曲のマニアックな世界です。
嵐レナが昭和46(1971)年に出した本日掲載のシングル盤A面曲「感じる」は、まさにその典型的な例であって、発売当時はヒットしたとは言い難いどころか、ほとんど知る人も少なかったと思われるのですが、後年の廃盤アワーの大ブームから好事家の的を得た紹介があって、今では復刻編集CDにも採られるほどの人気作になっているのですから、時の流れは偉大です。
なにしろ、それはスバリッ!
辺見マリ~夏木マリ路線のセクシー&エロティック歌謡ポップスが企図されている事は、「感じる」というストレートな曲タイトルからもご推察のとおりであり、実際、作詞:瓜生かずみ&作曲:飯田譲から提供された楽曲には、ちょいと文章にするには憚られるような表現が露骨に滲んでいますし、嵐レナの歌いっぷりが、これまた思わせぶりな誘惑調なんですから、スピーカーからレコードを鳴らすのにも周囲に気遣いと遠慮が必要かと……!?
しかし、同時にここで抑制と刺激という、ある意味では予定調和を齎しているのが鈴木淳によるアレンジの妙で、例えば冒頭のキメになっている――
 感じるぅ~~ 感じるぅ~~
という一節には、ちょっぴり大袈裟とも言える「ディレー&エコー」が用いられ、それが尚更に印象を強くすると同時に、オブラート的な役割を果たしていると思えば、基本的にミディアムテンポでキャッチーな曲調は狙いどおりの仕上がりじゃ~ないでしょうか。
また、肝心の嵐レナの歌唱力もしっかり平均点はクリアしていると思いますし、幾分ハスキーな声質も良い感じ♪♪~♪
彼女についてのプロフィールは詳らかではありませんが、どうやらモデル出身で歌手を志し、鈴木淳から指導を受けていたという事ですから、そのレコードデビューもあって当然でしょうし、ルックスにしても、なんとなくリリぃに似ている雰囲気がありますから、もしかしたらハーフ系なのかもしれません。
ということで、この「感じる」の1曲だけが突出して知られる嵐レナは、他にどのような活動を展開し、何枚ぐらいレコードを出していたのか、等々はサイケおやじの勉強不足ゆえに知る由もないんですが、それがあってこその人気が嵐レナの現状なのかもしれません。
うむ、昭和歌謡曲の奥は深く、未だ未知なる世界という真実は永久に変わらぬものと思うばかりです。

ひとりだけのワルツを愛す

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■ひとりだけのワルツ / 浅尾千亜紀 (CBSソニー)
音楽が好きな人ならば誰もが、特段ヒットしていなくとも、自分だけの忘れえぬ歌や演奏があろうかと思いますが、浅尾千亜紀が昭和45(1970)年に出した本日掲載のシングル盤A曲「ひとりだけのワルツ」も、サイケおやじにとっては、そ~した中の大好きソング♪♪~♪
なにしろ宮川泰の作編曲がゆったりしたテンポの哀愁ワルツであり、しかも洋楽テイストが滲みまくりという、ちょいと西部劇映画の挿入歌みたいな味わいに満ちていますし、尾中美千絵の綴った歌詞が、これまたギターを抱いた渡り鳥というか、漂白する気分はロンリーですから、人生を旅に例えれば、この歌の世界は、まさにサイケおやじの憧憬と書いてしまえば、カッコ良過ぎて恥ずかしくなるわけですが、それをさらに刹那の表現で節回す浅尾千亜紀の声質が、またまたサイケおやじが好きでたまらない西田佐知子を思わせるんですねぇ~~~♪
あぁ~、これはリアルタイムで聴いた時よりも、齢を重ね、人の世の喜怒哀楽をそれなりに味わって来た今になって、尚更に心に滲みる名曲名唱でありましょう。
そして告白すれば、サイケおやじは学生時代も、そしておやじバンドに入れてもらっていた時も、この「ひとりだけのワルツ」をやりたくて、時には我儘を許していただき、自分の持ちネタにしては独り善がりの感傷に酔っていたという、本当に恥ずかし過ぎる前科があるんですが、しかし実は今でも、何かの時に口ずさんでしまうという、愛唱歌でもあります。
ちなみに歌っている浅尾千亜紀は、所謂ビート歌謡や歌謡フォークっぽいレコードも残してはいるものの、失礼ながら大きなブレイクも無いままに引退されたらしく、このレコードあたりが最後のシングル盤なのかもしれませんが、当時のラジオから特に深夜放送を中心に「ひとりだけのワルツ」がヒットしていたという記憶がありますし、伝聞ではありますが、かなり以前にはCD復刻もされていたという情報もありますので、機会があれば、皆様にも聴いていただきたいと切望する次第です。
そして言うまでもありませんが、彼女のこのジャケ写におけるルックスは、サイケおやじの好みにはストライクゾーンのド真ん中♪♪~♪
それゆえに私的棺桶同行盤の1枚でもあります。

本音の踏み絵のPYGかな

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■花・太陽・雨 / PYG (ポリドール)
世の中には、どんなに素晴らしくとも、素直に受け入れらず、認められないものが少なからずある事は、皆様もご存じのとおりです。
例えば本日掲載のシングル盤で堂々のデビューを飾った日本のロックバンドである PYG も、全くそのひとつでしょう。
その要因は、PYG がGSの人気グループから選抜されたとしか思えないスタア集団であり、それが如何にも商業主義っぽくて、つまりは純粋なロック魂とは異なる主義主張が感じられ、もちろんそこには世間の所謂「やっかみ」が無かったとは言えません。
また、当然ながら、それを主導していたのは沢田研二を手中に留めておきたい渡辺プロ?
という構図が透けて見えていた事もマイナスのベクトルであったと言われています。
しかし、それでも昭和46(1971)年に出された作詞:岸部修三&作曲:井上堯之によるデビュー曲「花・太陽・雨」の仕上がりは、少なくともサイケおやじをリアルタイムでグッとシビレさせた、これがニッポンのニューロック!
かもしれないなぁ~~~♪
と、なかなか感銘を受けたのですが、既に述べたとおり、世間の目は厳しく、PYGを真剣に聴くなんてのはロックファンでは無く、むしろミーハーを告白しているようなもんだぜっ!
てなことが、常識的に思われていたのですから、ますます素直になれないわけで……。
そんなこんなを思いつめていた(?)同年秋、本格的特撮ヒーローの回帰を企図したであろうテレビ番組「帰って来たウルトラマン(TBS)」の第34話「許されざるいのち」が放送され、そのクライマックスでなんとっ!
PYG が演じたこの「花・太陽・雨」が劇伴として流れされ、その物語展開を異様とも思えるほどの高揚感に導いたのですから、たまりません。
ここからはちょっとネタバレもありますが、このエピソードは天才的な科学者でありながら、世間から疎外され、また自意識過剰なコンプレックスに苛まれていたとしか思えない行動から新種の怪獣を作り出してしまい、結局はウルトラマンに退治される流れはお約束かもしれませんが、そこに関わる登場人物の心情描写が絶妙のカットバック等々を駆使して繋ぎ合わされる時、既に述べたとおり、素晴らしい仕上がりながら、ほとんどストレートに受け入れられなかった PYG が演じるところの「花・太陽・雨」がジャストミートしてしまうのも、ムベなるかなっ!?
この強烈な相乗効果が、どのように企画されたかは知る由もありませんが、件の第34話「許されざるいのち」の脚本が石堂淑朗&小林晋一郎、そして監督が山際永三という制作スタッフの総意だとすれば、PYG サイドがどのような許諾姿勢だったは大いに興味を惹かれるところです。
閑話休題。
さて、そこでいよいよ本日のお題「花・太陽・雨」は、いきなりゴ~ン~ゴ~ン~と鳴り響く鐘の音に導かれ、力強いミディアムテンポで歌われるメロディアスな曲調は、その仕掛けからしてジョン・レノンのあの名曲「Mother」を強烈に想起させるという、そんな「あざとさ」があるもんですから、ますます PYG は疎まれるという事が否定出来ないんですが、さりとて沢田研二と萩原健一のツインボーカル、ハイセンスな大野克夫エレピ、そして井上堯之の味なギター、さらに言うまでもなくリズム隊のヘヴィなビートを素直に楽しめないというのじゃ~、勿体ないですよっ!
ちなみにこの「花・太陽・雨」はシングルバージョンとアルバムバージョンが公式音源としてスタジオレコーディングで残されており、まずシングルバージョンは沢田研二と萩原健一によるツインのリードボーカルが「6:4」であるのに対し、アルバムバージョンでは、ほとんど沢田研二がリード、萩原健一はバックコーラスみたいなミックスになっており、また井上堯之のギターにも、シングルバージョンでは強いディストーションが効果満点!
演奏のテンポも幾分早く、つまりシングルバージョンの方がロック性感度が高いんですよねぇ~~~♪
ところが、いよいよ使われた問題の第34話「許されざるいのち」での「花・太陽・雨」は、まずは演奏のテンポがシングル&アルバムの両バージョンとも異なる印象ですし、ボーカル&コーラスの雰囲気も微妙に違っているように感じますので、もしかしたら、ここだけの別ミックスが作られたんじゃ~なかろうか?
と推察する次第です。
ということで、自分の好きなものを素直に認めなきゃ~、生きている意味も薄れてしまんじゃ~ないかなぁ~~~。
独断と偏見に満ちた拙ブログではありますが、これからもそ~した心情吐露は継続させていただきたく、よろしくお願い致します。

告白と希求

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■告白 / 中原まゆみ (日本ビクター)
昨夜は例によって送別会で朝帰りという、それはそれで充実した1日を過ごしたサイケおやじではありますが、またひとり、昔っから気脈を通じていた仕事仲間が去ってしまう現実には、ますます取り残された気分を強くしたのも本音でした。
しかし、だからこそ、二次会~三次会と流れるにつれ、本性を露わにする大義名分も出来たという、些か潔いとは言い難い態度で盛り上がってしまった自らの醜態には、我ながら呆れてしまうばかり……。
連れて行っていただいた店のホステスさんが、なかなか好みのタイプ揃いだった事も嬉しく、そんなこんなの余禄さえも、享楽と憐憫のバランスがギリギリのところで保たれていたというか……。
さて、そんな夜が明けて、今日からは気分一新、ヤル気を出してゴタゴタに積み重なっていたレコードを片付けていたら、思わず、うっと呻いてしまったのが本日掲載のシングル盤でして、それはジャケ写に登場している中原まゆみが、昨夜入ったクラブのホステスさんにクリソツのイメージだったという、まあ、それだけの話なんですけどねぇ~~♪
長い前置きは、ここまでにして、中原まゆみは昭和芸能界のフェロモン歌謡部門では近年、なかなか人気も高いとされていますが、それは昭和46(1971)年に出したシングル曲「テイク・テン」が各種復刻オムニバスCDに収録されるほどの名唱・名曲である事によるものでしょう。
確かに、それはサイケおやじも認めるところです。
ただし、ストレートなセクシー&エロティシズムをそれに求めてしまうと肩すかしになるわけで、歌唱そのものは演歌ロックっぽい雰囲気もあるのが、前述「テイク・テン」の実相だと思いますが、それでも中原まゆみには、その面立ちにナチュラルなフェロモンが強く滲んでいるというジャケ写美女的な魅力があって、殊更眼差しの男好き感はサイケおやじの好むところ♪♪~♪
で、本日掲載のシングル盤も、全くのそれなんですねぇ~~~♪
実は発売されたのは、件の「テイク・テン」の前作として昭和45(1970)年に製作されたんですが、ど~です、この佇まい、この眼差しに、この唇&面立ちのフェロモン性感度は!?!
しかし、肝心の収録A面曲、作詞:有馬三恵子&作曲:鈴木征一、そして編曲:近藤進が提供の「告白」は、歌謡ポップスとフェロモン歌謡の融合を企図しているであろう狙いが、ちょっぴり空回り気味で、ジャケ写の雰囲気が浮き上がってしまったような……。
ちなみにプロフィール紹介によれば、中原まゆみは金井克子、由美かおる、奈美悦子、原田糸子のレ・ガールズで知られる西野バレエ団所属だったそうですが、個人的には彼女が踊っている姿には全く接した事がありませんし、歌手としてもテレビ出演されたという記憶もサイケおやじにはありませんので、活動そのものは地味だったのでしょうか、リアルタイムでのブレイクが無かったのも、今日の裏人気に繋がる布石だったと思えば、結果オーライ!?
ということで、冒頭の話に戻れば、今年度もサイケおやじは仕事で苦しめられるという先の見通しは確定的で、だからこそ刹那的と言われようとも、己の趣味で享楽を求める姿勢を強くしたいと、強く希望しております。
それが例え叶わぬまでも、好きなものを追及出来なくなったら、もう、お終いですからっ!

春にはソウルフルなストラット

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■Soulful Strut / The Young-Holt Unliited (Brunswick / テイチク)
ソウルジャズのインストもまた、サイケおやじの大好物なんですが、それに火をつけた(?)名曲名演のひとつが本日掲載のシングル盤A面曲「Soulful Strut」であります。
ご存じのとおり、演じているザ・ヤング・ホルト・アンリミテッドと名乗るバンドはエルディ・ヤング(b) とレッド・ホルト(ds) のリズム隊コンビがやっていたプロジェクトで、この2人組はラムゼイ・ルイス・トリオに在籍して、例えば「The "In" Crowd」等々幾多のヒット作に関わった事から名を挙げ、1966年に揃って独立して以降の活動が、このザ・ヤング・ホルト・アンリミテッドなんですが、そんな事はこの「Soulful Strut」を最初に聴いた瞬間にシビレた1969年当時のサイケおやじには知る由もありません。
とにかく、その頃のラジオから頻繁に流れていた「Soulful Strut」のワクワクするR&Bとジャズのフィーリングが好きでたまらず、キャッチーなブラスのリフ、哀愁滲むメロディをシンプルに弾くピアノ、そして蠢くベースとちょっぴりイナタイ感じのドラムスのビートが作り出す不思議と都会的なソウルフィーリング♪♪~♪
と書いたのは、今にしての具体的な感想であって、リアルタイムでは既に知っていた同系グループのブッカーTとMGs に比べれば、格段にオシャレな感じだっんですよねぇ~~♪
もちろん、両方のグループには単純に比較出来ない奥深さがある事は言うまでもありませんし、サイケおやじはどっちも大好きなんですが、そのあたりの好みのポイントのひとつが、エルディ・ヤング(b) とレッド・ホルト(ds) がシカゴという黒人音楽の拠点のひとつをベースに活動していたというルーツがあり、これはサイケおやじがアメリカの大衆音楽を今日まで聴き続けて来た履歴を振り返ると、ブルースでもジャズでもソウルでもロックでも、件のシカゴという地域から登場し、作られていった楽曲やレコードのほとんどが自分の好みにジャストミートの現実に符合しているのですから、この「Soulful Strut」が好きになった時は中学生だったサイケおやじにしても、あらためて自らの趣味嗜好を再認識させられるわけです。
すると実はこの素敵なソウルインストには元ネタがある事も追々に知ってしまい、それがバーバラ・アクリンという、これまたサイケおやじが大好きな女性ソウルシンガーのバーバラ・アクリンが放ったヒット曲「Am I The Same Girl?」でありまして、なんとっ!   エルディ・ヤング(b) とレッド・ホルト(ds) は、そのバック演奏に参加していたところから、ボーカルパートを抜き、前述したとおり、ピアノをダビングしての改作が「Soulful Strut」だったとか!?
その背景には、同曲を書いたシカゴソウル界の才人たるユージン・レコードとアレンジャーのサニー・サンダースの目論見があったようで、前述のバーバラ・アクリンは当時、ユージン・レコードと夫婦関係にあったという真相も意味深ではありますが、とにかく元ネタとなった彼女の「「Am I The Same Girl?」とそのインストバージョン「Soulful Strut」は切っても切れない魂の絆でありましょう。
ちなみにユージン・レコードはシャイ・ライツのリードヴォーカリストとしても活躍した、まさにシカゴソウル界の大立者ですから、リスナー十人十色の好みの問題は当然ありますが、それでも関わった作品にはハズレがほとんどありませんので、要注意ですよ。
ということで、春にはオシャレなソウルジャズのインストでも聴きながら、ウキウキするのも悪くありません。
実際、サイケおやじは、これまで集めたザ・ヤング・ホルト・アンリミテッドのレコードやCDからお好みのトラックを選び出して纏めたファイルを車の中で鳴らしては、イイ気分に浸っています。
あぁ、こうしていられる現在の幸せに感謝です。

新人時代に癒された旋律

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■旋律 / 杉田優子 (ビクター)
さて、いよいよ今日から新年度がスタートし、各業界それぞれに新人が入っての出発は、その緊張感も快い時期だと思います。
しかし、そう書いてしまったサイケおやじにしても、それは職場に慣れきったところに根差した慢心であり、新人の立場であれば、緊張感は不安と希望のアンバランスな帰結に過ぎないでしょう。
実際、サイケおやじも新人として社会に出た大昔のあの頃は、例えそれが学生時代のバイトの延長であったとしても、やはり右も左も分からないというか、持ち前のお気楽さが先輩や上司にとっては、軽く見られていた事は否定出来ず、しかも前述したとおり、職域の若干部分はバイトで経験していた業務とダブッていたことから、つまりは即戦力の兵隊、都合の良い使いっ走り的な立場であったわけでして……。
そんなことからサイケおやじも一丁前に仕事で心に疲れを感じていたのが、ちょうど新人時代の春でした。
しかし、そんな時こそ癒される時間にはエロ映画やSM誌、そして音楽があった事も確かでした。
本日掲載したシングル盤A面曲「旋律」は、そ~した苦悩(?)の時期に耳に馴染んだ、これが儚いフィーリングが横溢した歌謡ボサノバのニューミュージック的展開でして、歌っている杉田優子が作詞作曲し、鈴木茂が如何にも都会的なアレンジを施した名曲にして名唱名演♪♪~♪
発売されたのは昭和53(1978)年早々らしく、既に当時の慣例となっていたLPデビューが先行していたという、今となっては、なかなかに恵まれたスタートだったのも、件のニューミュージックが大きなブームとなり、次々に新しい才能が送り出されていた歴史の証明かと思います。
ただし、「ブーム」の反動というか、これは「GS」や「アイドル」のジャンルでも同様なんですが、その最中に夥しく登場した歌手やグループが、結局は極僅かしかブレイク出来ず、だからといって、売れなかったものが、つまらないとは言い切れません。
むしろ少数のファンに愛され、聴き継がれ、後々になって再発見されるケースだって少ないない事は言わずもがな!?
杉田優子の芸歴やその後については知る由も無いサイケおやじではありますが、一応LPは2枚ほど作られたようですし、各方面のスタア歌手のバックアップコーラスの仕事もやっていたと言われていますので、なんとか残された音源がきっちり復刻される事を願うばかり……。
しかし、正直に書かせていただければ、失礼ながら彼女のボーカルはアップテンポよりも、ミディアム~スローなテンポで味わいがはっきり表出される感じで、それはLPに収録された楽曲がカントリーロックからAOR、あるいは疑似ソウル歌謡やアイドルポップスの如き仕上がりのものまで、些かのとりとめのなさがツライわけでして、だからこそ、この「旋律」が尚更に素晴らしく、心に滲みわたると言えば、贔屓の引き倒しでしょうか。
でも、個人的には、この1曲があるからこそ、杉田優子は忘れられないシンガーソングライターであり、聴く度に癒されるというわけです。
未確認ではありますが、未だCD化されたという話も無い楽曲とはいえ、機会があれば、聴いていただきたい、せつなくもハートウォームな歌であります。

昭和からの贈り物

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■私 / こんな私がいじらしい / 片山三紀子 (日本コロムビア)
隣街にあって、今も昭和レトロな雰囲気が横溢していた喫茶店が先月末で閉店したというので、今朝は回り道をして様子を見に行ったら、早々に建物が解体になるらしく、様々な道具類や粗大ゴミ等々の搬出が始まっていました。
そして折良く、顔見知りの店主がそこに居たもんですから、挨拶を兼ねて惜別の労いを申し述べたところ、処分するはずだったというコーヒーカップとお皿、スプーンを4セットも頂戴し、さらに捨てると言っていた雑多な古いレコードも好きなのを持っていってよ♪
と妙に明るい口調で、実に嬉しいお言葉に甘えてしまい、本日掲載のシングル盤を拝領させていただきました。
もちろん、サイケおやじは片山三紀子と名乗る歌手は今日まで、全然ノーマークだったんですが、それでもこのジャケ写の雰囲気と彼女の面立ちにグッと惹きつけられるものがありましたですよ♪♪~♪
ところが、中身のレコードの盤質が極めて酷く、カビと付着性油脂に侵され、さらには熱によって塩ビが変質しているので、到底聴けそうもないのは残念……。
でも、一応は楽曲クレジットを載せておきますねっ!
 A面「私」が作詞:阿久悠&作曲:井上かつお、そして編曲:馬飼野俊一!
 B面「こんな私がいじらしい」が同じソングライターコンビの提供で、編曲が佐々永治!
そして発売されたのは推定、昭和46(1971)年!?!
ですから、ますます聴いてみたいという欲望が!!?!
ちなみにA面曲「私」は「わたしく」と発音するというあたりも、気になりますねぇ~~~♪
ちなみに件の喫茶店は先代が67年前に開き、長男の現マスターが後を継いだわけですが、その先代の御令室、つまりママさんがサイケおやじの母親がやっていた洋裁店の上得意だったということで、子供の頃のサイケおやじも母親に連れられて行っては、そこでのクリームソーダーが極上のお楽しみ♪♪~♪
長じてからは足も遠退きましたが、それでもサイケおやじの母親は何かの集まりには、その店を使っていましたから、今回の閉店には寂しさを感じていたので、頂戴したコーヒーカップのセットは、大切な思い出のプレゼントでしょう。
ということで、肝心の掲載盤、そして主役たる片山三紀子については全く書く事も出来ないという現実が……。
それゆえに、ますます気になるというわけです。

カリプソ歌謡曲は安らぎますねぇ~♪

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■恋の数え歌 / 三浦恭子 (東芝)
王道昭和歌謡曲の基本には、所謂「朝鮮半島のモード」が使われている事が否定出来ないと言われていますが、それが演歌に変質していく過程においては和物民謡調と並んで洋楽ポップス諸々も取り込まれていたという実相は、まさに我が国独特の歌謡曲文化、その雑食性の証明かと思います。
中でも演歌とハワイアン、あるいは和物民謡とラテン、さらには世界各国のエスニックなリズムやモードを入れ、そしてロックやR&B等々までも強く滲ませる楽曲が次々に作られるようになったのは、おそらくは昭和40年代の我が国大衆音楽の盛り上がりを示す、ひとつの素晴らしさだったのかもしれません。
つまり、リスナーにウケる要素を捜しては纏めるという作業の領域には未知の世界がどっさり残っていたからこそ、今に残る面白いレコードが夥しく作られていた事が、昭和歌謡曲の不滅の魅力なのでしょう。
本日掲載のシングル盤A面収録「恋の数え歌」は曲タイトルとジャケ写デザインからして一目瞭然、カリプソと小唄歌謡をクロスオーバーさせた逸品で、作詞:なかにし礼&作編曲:鈴木邦彦が昭和44(1969)年に作り出した、これがなかなかのコレクターズアイテム♪♪~♪
それはまず歌っている三浦恭子が当時の日劇ダンシングチームのトップスタアであり、もちろんサイケおやじは全盛期の彼女のステージには接することは叶いませんでしたが、その美しきナイスバディと佇まいの華やかさは、ジャケ写からもしっかり伝わってきますよねぇ~~♪
しかも既に述べたとおり、カリプソ調のリズムと演奏によって歌われるメロディのシンプルなキャッチーさが楽しく、彼女の歌いっぷりも声質が、いしだあゆみ!? みたいな感じが上手いコブシ回しと連動し、強い印象を残してくれますよ♪♪~♪
おまけにバックのソフトな男性コーラスが尾崎紀世彦の在籍していたザ・ワンダースと云われているのですから、これをGSや和物ソフトロックのコレクターが珍重するのも納得されるところでしょうか。
ということで、話は変わりますが、今日はまたまた無謀なミサイル発射をやらかした某国について、隣国の仕事関係者から、怖い話をたっぷり聞かされ、しかもそれを潰そうとする二つの大国の目論見は尚更に恐ろしいという、極めて真相に近いと思われる予測までも耳に入れられたんじゃ~、安穏とはしていらいれない気持ちになりました……。
それが現実にならない事を祈るだしか、サイケおやじには手立てが無い以上、せめて一時の安らぎは大切にしたいと思うばかりです。

ほんとの気持の奥の細道

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■ほんとの気持を / 那須あけみ (ローヤル)
今でこそ珍しくもないインディーズレーベルも、それが昭和歌謡曲の世界では殊更有名なのが「ローヤルレコード」かもしれません。
もちろんそこから誕生したメガヒット盤は無いと思われますが、しかし中古屋での狩盤活動に勤しんでいると、今日まで星の数ほど出されていたシングル盤が決してコロムビアやテイチク、キングやビクター等々の大手レーベル以外のところで作られたブツに遭遇する事が度々で、その代表格が、おそらくは昭和50年代中頃まで存在していたであろう「ローヤルレコード」なのです。
しかし、サイケおやじは、決死てその実態を知っていませんし、昭和40年代後半では、失礼ながら捨値盤コーナーでも売れ残っていたブツが大多数であり、当然ながら有名な歌手やグループは極僅か……。
ですから、サイケおやじの私有盤で同レーベルのシングル盤は、中古屋で邂逅した時の瞬時な直感によってゲットしたブツばかりで、それゆえにあまり自分の感性に合ったものも、これまた極僅かの中にあって、本日掲載の1枚は、そのA面「ほんとの気持を」が、もしかしたら、裏名盤じゃ~ないか!?
とまで思う時もあるんですが、それも気の迷いと諭されれば……。
それでも、あえてご紹介させていただければ、件の「ほんとの気持を」は作詞:川内康範&作曲:三佳令二、そして編曲:荒木圭男が企図した、なかなかビートの効いたポップス歌謡♪♪~♪
那須あけみの歌いっぷりも、ちょっぴり美空ひばりに影響された感じで、もちろん女王ひばりには到底近づく事も出来てはいませんが、それゆえにこの「ほんとの気持」を美空ひばりが歌ったら!?
と不遜な事をサイケおやじに夢想させてしまっただけでも、このレコードが作られ、手元にやって来た運命を感じてしまうほどです。
ちなみに発売されたのは昭和45(1970)年で、那須あけみについてはテレビ等々でも接した記憶が無く、当然ながらこのレコードに出会うまでは楽曲そのものも未聴でしたので、彼女についても知るところが全くありません。
それでも岡田可愛が質量感を増したようなルックスとムチムチした肢体は正直、気になりますねぇ~~♪
ということで最近、どマイナーちっくなレコード紹介が続いておりますが、そ~した音源がちょっぴりでも復刻されますよう、祈りを込めている次第です。
奥の細道は、まだまだ続いています。

黒い蝶の仮面の下は…

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■黒い蝶のブルース c/w 鍵 / ダイアモンド・シンガー (日本コロムビア)
我が国の中古レコードは普通、誰かの手に渡った後に然るべき店に買い取られて商品になるという、所謂セコハン物が圧倒的に多いのですが、中には様々な放送局や関係者から流出したサンプル盤、そして当該レコード屋が廃業した場合等々に出て来る売れ残り品、所謂デッドストック物も確固たる存在感を示している事は、殊更猟盤活動に勤しむ皆様には、ご存じのとおりの実状かと思います。
このあたりの裏事情については、例えばアメリカでは売れ残りや廃棄処分盤を税金問題から切り離す処置のひとつとして、LPならばジャケットに穴を空けたり、あるいはその一部分を切り取ったり、またシングル盤の場合ですと、センターレーベルに小さい穴を穿つという、通称カットアウト盤として扱われるのですが、日本の場合だとデッドストック物は、そのまんま中古市場に流通するという、嬉しい実態も確かにありました。
ただし、そりゃ~売れ残りですから、有名作品はほとんどありませんが、それでも盤そのものやジャケットが新品同様ですし、何よりも売れなかったという結果が珍しいブツに遭遇する機会の多さでもありますから!
本日掲載のシングル盤も、まさにそんなデッドストック商品なのでしょう、サイケおやじが手中に収めた時にはピカピカのランクA♪♪~♪
もちろん珍しさという点においては、歌謡曲愛好者やコアなマニアにとってはそれほどでも無いのが本当のところとはいえ、サイケおやじには噂だけでしか知らなかった幻が眼前に現れたという、夢見心地の1枚でありました。
実は、このシングル盤で歌っているダイアモンド・シンガーと名乗る仮面の女性こそは、あのメガヒット「東京ドドンパ娘」を放った渡辺マリと言われているのですからっ!?!
それが何故かは知る由もありませんが、とにかくここで聴かれるダイアモンド・シンガー=渡辺マリは、あえて仮面を着用しただけあって、前述「東京ドトンパ娘」で残した強い印象とは異なり、極めて正統派ムード歌謡保守本流の歌唱を披露♪♪~♪
製作スタッフはA・B両面共に作詞:吉岡治&作曲:市川昭介、そして編曲:河村利夫という説明不要の大御所ですから、その仕上がりに抜かりはなく、まずA面「黒い蝶のブルース」は曲タイトルどおり、歌謡ブルースの典型でありながら、そのボーカルの芯のブレないグルーヴは本物でしょう。
また、一方のB面「鍵」は、これまた堂々のムード歌謡に仕上がっていて、それでも決して甘さに流れない歌いっぷりは、まさに渡辺マリ!? とダイアモンド・シンガーの正体を明かされてこそ、納得されるものと思います。
しかし、サイケおやじはダイアモンド・シンガーの実演に接した事は全く無くて、しかもレコードだって、これっきりしか持っていないんですが、だからこそステージライブは、どんな状況だったのか大いに気になるところです。
だって、仮面姿で観客の前に出た時、既に正体がバレていたとしたら、当然ながら代表曲「東京ドドンパ」を歌わなかったら収まりがつかないでしょうし、さりとてダイアモンド・シンガーとしての集客に、どのぐらいの期待があったのかは、レコードのヒット状況にも密接に左右されるのですから、このサイケおやじの疑問には、皆様からの情報をお願いしたいところです。
ちなみに仮面というか、覆面と云えば特にプロレスの世界では、このレコードが世に出た昭和42(1967)年では常態化しているギミックでしたから、実力がありながら素顔では人気が得られなかった、例えば白覆面の魔王と呼ばれたデストロイヤーとか、あるいは興行的に同じ顔触れのレスラーしか招聘出来なかった時の窮余の一策として、限定的に覆面で登場してもらった場合等々、様々な内幕があろうとも、それがウケれば結果オーライ♪
まあ、中には覆面着用でありながら、体型とか試合運び、そしてキメ技から、その正体がいきなりミエミエになっていたレスラーも少なくはありませんが、そんなこんなも昭和という時代であれば、今は面白い逸話として語られているわけでして、それが芸能界となれば、日本のハードロックバンドでは有名なバウワウが、覆面姿のシルバースターズと名乗って、一説によると前座とメインアクトのダブルギグをひとつのライブ会場でやっていたという伝説もあるそうですよっ!
う~ん、とすればダイアモンド・シンガーも渡辺マリも、一人二役で巡業をやっていた可能性も!?
ということで、今はなかなかこ~した稚気(?)を感じさせる芸能が登場しづらいというか、下手を打ったら忽ちネットで餌食になってしまうという社会じゃ~、それも……。
でも、例えミエミエでも、サイケおやじは、それを望んでいる気持ちに嘘はありません。
皆様は、いかがでありましょうかねぇ~~~。

松本典子は実演派のアイドルシンガーでしょうか?

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■春色のエアメール / 松本典子 (CBSソニー)
昭和の芸能界で殊更女性アイドルが激戦時代だった昭和60(1985)年、業界からの熱い期待を背に受けたようにレコードデビューしたのが松本典子だったと記憶しています。
なにしろ歌手デビューする以前から各方面で彼女の名前と存在は喧伝され、実際前年には女の子雑誌の「セブンティーン(集英社)」が主催したミス・セブンティーン・コンテストに勝ち抜き、CMにも起用されていましたからねぇ~~、トップアイドルへの道筋は、しっかり用意されたところでの最初のシングル曲が、掲載盤A面曲「春色のエアメール」でありました。
確か、郵政省とのタイアップ曲でもあったはずと思いますが、楽曲そのものも、当時のポップス系シンガーソングライターでは最高の評価を得ていた EPO(エボ)から提供された、これがアップテンポの明るいポップス曲でしたし、ストリングスを贅沢に使い、メリハリの効いたリズム隊を配した大谷和男のアレンジも分かり易いものでしたから、既に大ヒットは約束されていたはずが……。
失礼ながら、それでも期待どおりに売れたとは言い難く、同じ頃に活躍していた先輩アイドルばかりか、同期の新人だった南野陽子斉藤由貴あたりにも後れをとっていた感があったように思います。
で、結局はアイドル歌手としては特段のヒットも出せないまま、何時の間にかテレビのバラエティ番組で存在感を強めていくうちに引退・結婚されたわけですが、歌手としての松本典子はサイケおやじにとってはなかなか不思議なボーカリストで、それはスタジオできっちり作られたレコードよりも、ライブやテレビ出演時の生歌(?)の方が魅力的という事です。
このあたりは熱心な彼女のファンからすれば、サイケおやじの大いなる勘違い、あるいは的外れの認識と言われても反論さえ出来ないわけですが、それでもこの「春色のエアメール」にリアルタイムの販促イベントで接したサイケおやじが、外聞も憚らず、その場で買ったレコードを自宅で聴いた時の落差には、完全に???の気分でありました。   普通は逆ですよねぇ~、特に普通一般のアイドルの場合は!?
それはこのデビュー曲に限らないと思うのですが、いかがなものでしょう。
そしてその意味で、当時のライブステージに生で接したファンの皆様には、本当に幸せな思い出になっているんじゃ~ないかと、拝察する次第です。
ということで、本日は嬉しいことに「花見の宴」に誘われ、出かけたものの、残念ながら雨に祟られて、ちょっぴり残念でした。
でも、まあ、それも思い出のひとつとして、意想外な喜びになるのかもしれません。
この世界は大変に物騒になって来ましたが、今、ここにこ~していられる幸せは大切にしたいものです。

和製ホッドロッド! これはイケイケ歌謡ポップスの快作!

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や■サニー・ボーイ / 小月リエ (ポリドール)
今でもこそ、学生でも自分専用の車を持っている者は珍しくも無く、特に地方では車が無ければ、他に移動手段が無いので、生活必需品として認められているわけですが、これが昭和40年代後半から同50年代の、例えば東京周辺においては、何時でも自分で自由に運転出来る車があるだけで、それは男であれば、女の子にはモテモテになる絶対のアイテムであり、つまりは裕福な家庭のおぼっちゃん、あるいはそ~でなくとも、バイト等々で懐に余裕があるとか、決定的な幸運に恵まれているという証明だったんですねえ~~。
それは車を買う事もそうです、なんとか所有しても駐車場や保険や税金、さらには燃料や整備点検・車検の費用が毎月バカにならないのですから、やっぱり勉学を優先する立場の者、つまり学生には不相応な持ち物とは理解していても、やっぱり車があればねぇ~~~♪
という楽しい目論見が果てしない妄想へと繋がるのは、青春の特権かもしれません。
そしてメーカー側も、そ~した若者をターゲットにした新車を次々に投入し、同時にテレビやラジオでも熾烈なCM戦が繰り広げられていた中にあって、そのタイアップによる歌謡曲も様々にレコード化されていた事は、殊更サイケおやじと同世代の皆様であれば、説明不要かと思います。
本日掲載のシングル盤A面収録「サニー・ボーイ」も、まさに曲タイトルとジャケ写デザインからもご推察のとおり、日産サニーをモチーフに、思いっきりヨイショしたカッコイィィ~~ビートポップス歌謡の決定版!
発売されたのは昭和43(1968)年7月ということは、高度成長~昭和元禄も真っ只中でしたから、とにかく前向きに明るく、なんでもイケイケが求めれていた時代だった所為もあるのでしょう、作詞:東大路千弘&作編曲:小林亜星が提供した「サニー・ボーイ」は、なんとっ!
アーチー・ベルとザ・ドレルズが我が国でもヒットさせていた「Tighten Up」を堂々とパクった、あのウキウキさせられるソウルグルーヴをテンポアップしたリズムパターンを用い、そこに明るいソフトロック系のメロディを附した、これもひとつの洋楽歌謡でありましょう。
しかも歌っている小月リエの声質がライトタッチでありながら、とても芯が強く、所謂パンチの利いた節回しを披露しているんですから、たまりません♪♪~♪
そして要所で短く、ダビングよるた一人多重コーラスを歌詞の言葉のキメの部分でだけやってしまうというアレンジも冴え、当然ながら、絶対にサニーであろう排気音のSEを入れているのも、所謂ホッドロッドサウンドとしてのイヤミの無いお約束です。
ちなみに歌っている小月リエは、おそらくはジャケ写に市松模様のミニスカワンピースで登場している女性だと思われますが、サイケおやじはテレビ等々でも接した記憶が全くありませんし、実はこのシングル盤や収録の「サニー・ボーイ」にしても、完全なる後追い体験ですので、彼女についての諸々は知る由もありません。
それでも、こんなに素敵なイケイケグルーヴ歌謡が日常的に作られていた時代に少年期を過ごせた幸せには、心から感謝するばかりです。
そして、何時の時代にも、幸せは絶対に存在するはずと、心から信じていたい気持ちであります。

今朝聴いた石毛礼子

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■旅の手帖 / 石毛礼子 (フィリップス)
掲載したジャケ写だけの印象では、なんとなく演歌系みたいに思えてしまう石毛礼子は、しかし正統派ポップス歌謡の実力派シンガーであり、このデビュー曲「旅の手帖」が発売された昭和56(1981)年では既に「オーバー20」であった事に反し、ポスト石野真子にして松田聖子のライバル(?)的なウリさえあったアイドル扱いじゃ~、その素晴らしい資質と才能が確実に認められる方向では無かったんじゃ……?
と、今でもサイケおやじは思っているんですが、それもこれも、全ては作詞:松本隆&作曲:網倉一也、そして編曲:船山基紀が提供した「旅の手帖」の心地良い仕上がりゆえの事です。
なにしろ曲調もサウンド作りも、その頃にはすっかり我が国芸能界に定着していた、如何にもというニューミュージックにどっぷりのアップテンポな明るさに満ちていながら、歌詞に用いられている言葉が天邪鬼というか、とにかくそ~ゆ~胸キュン性感帯を刺激する職人的技法が入った楽曲を伸びやかで澄み切った声で実に上手く節回す石毛礼子の歌唱力は本物!
それはリズムがシンプルな8ビートであり、彩としての所謂泣きのギターも出ず、幾分薄いストリングスや内気(?)なエレピが伴奏の主体となって彼女のボーカルをサポートするという狙いがそこにあったとすれば、ますます清楚でポップな歌いっぷりが冴えまくりなんですねぇ~~♪
実際、それは松田聖子を意識していたと言われれば否定出来ないところでもありますが、だからこそ穢れを感じさせない石毛礼子の歌唱では、大きなヒットが難しかったのか……?
う~ん、だとしたら、なんとも悲しい現実ですし、その実力と魅力に反して、彼女が残したレコードはシングル盤が4枚っきりなんですから、それは物凄く勿体無いと思うばかりです。
もちろん、芸能界には何時の時代も、実力がありながら売れなかった人は夥しいわけですが、実はこのシングルをゲットしてサイケおやじが初めて知ったのは、石毛礼子がヤマハ系だったという真相でして、それじゃ~、なんできっちりニューミュージックのアーティストとして売らなかったのか?
謎は深まるばかりです……。
しかし、おそらくは引退されているであろう彼女が残したレコードは、その全てが好きな人にとっては好きとしか言えない「お宝」だと確信する次第です。
ということで、最後になりましたが今朝、急にこの「旅の手帖」を聴きたくなって針を落としたら、楽曲全篇に滲みまくる明るい哀愁という、妙に心地良い印象が、マイナーとメジャーの両方のコードを些か恣意的に出し入れしたとしか思えない、本当にプロの手際を痛感させられました。
そのあたりを詳らかに解説するだけの理論をサイケおやじは持っていませんが、ストレートに、そして感じるままに聴く事が自然に出来てしまうのは、そうした技法の裏付けがあっての事なのでしょう。
さあ、生意気はここまでにして、音楽はやっぱり聴くのが第一義♪♪~♪
石毛礼子の未発表曲でも発掘&復刻されないかなぁ~~~、と願っているのでした。

浅田観音真央菩薩

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昨夜、浅田真央が競技の第一線から引退されるという大ニュースがあり、本日はなんとかそれに相応しいレコードを取り出そうと腐心したのですが……。

当然ながら、何を出そうとも、惜別の情に勝るものは無く……。

今は彼女のこれからを暖かく見守りたいというのは、ファンならずとも、大勢の国民の気持かと思うばかりです。

そうです、浅田真央は観音菩薩の如く、諸衆安らぎを与えてくれたのですからっ!

ありがとう、浅田真央!

 

花も涙も美しい

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ちょいと仕事で急展開があったので、本日の1枚は休載させていただきます。

しかし、それにしても浅田真央の記者会見、まず登場した本人の衣装と佇まいだけでウルっときました。

あの白いアンサンブルと黒いスカート、そしてシンプルなヘアスタイルは、これ以上ありませんでした。

仕事ではギリギリのやりとりで、気持ちがギスギスしていたんですが、あれで心が洗われたと思うのは、甘いんでしょうか。

でも、サイケおやじは気分一新、午後からストレートに邁進し、今にこ~していられる有難さに感謝です。

 

松木俊夫監督の訃報、そしてドグラ・マグラ

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  大好きな映画作家の松本俊夫の訃報に接しました。
故人は所謂前衛的な映像作品が有名ですが、サイケおやじとしては、それは決して難解な独り善がりじゃ~なくて、しっかりドキュメント手法というか、瞬間芸っぽいイメージ映像よりは、忠実度の高い映像表現があってこその幻想&サイケデリックな美学に拘っていたところが凄いと思っていました。
それは例によって大いなるサイケおやじの勘違いかもしれませんが、例えば映画ならば、昭和63(1988)年の「ドラグ・マグラ」を、ぜひともご覧いただきとうございます。
何故ならば、これは夢野久作の超推理小説にして幻想文学の大傑作とも云える「ドグラ・マグラ」を見事に映像化した作品であり、原作を読んだ皆様であればご理解いただけると思いますが、とにかくその内容を忠実に映像化する作業の困難さは、昔っから相当のインスピレーションが必要とされてきましたから、生半可なものを撮ったりしたら、B級ボンクラ映画にもなりゃ~しないところを、実に堂々と真っ向勝負で仕上げたその手腕は天才ですよっ!
詳しい内容については、リンクした拙文をご一読願いたいところですが、幸いなことに映画本篇もDVD化されておりますので、特にミステリが好きな皆様には、ぜひともご覧いただきとうございます。
もちろん、夢野久作の原作を読んでからであれば、松本俊夫監督の手腕の凄さが堪能出来ると思います。
そして故人は映画製作だけではなく、的確な評論活動にも定評がありましたので、その全てが集成されん事も願っております。
合掌。
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