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王道過ぎたのか、トライアングル

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■トライアングル・ラブレター / トライアングル (CBSソニー)
数多登場したアイドルトリオの中でもトライアングルこそ、キャンディーズの正統を継ぐグループでした。
なにしろ本家キャンディーズが解散する以前から、妹分としてキャンディーズ・ジュニアと名乗る事を許され、ドリフターズのテレビ番組等々への出演も多かったのは、もちろん渡辺プロダクション所属だったという事は説明不要と思います。
そして当然ながら、メンバーのミッチ=森光子、クーコ=大塚邦子、マミ=上野真由美は同プロが運営に深く関わっていた東京音楽学院~スクールメイツの中から選抜されたわけですが、それが昭和52(1977)年秋頃に具象化した企画という事は、既にキャンディーズ解散後のプロジェクトが既に進行していた証左であり、件のキャンディーズが今や歴史となった同年7月の解散宣言から翌年春まで、会社側の要請によってそれが引き伸ばされた実情も、推察に易いでしょう。
ところが、そ~なってみると、それまでだって熱かったキャンディーズのファンは尚更の狂騒状態になったもんですから、「キャンディーズ・ジュニア」というグループ名や彼女達の存在そのものが頭っから拒絶&否定の対象となり、つまりトライアングルは、その船出からして厳しい環境に置かれたのも、また事実だったという記憶があります。
実際、翌年になってキャンディーズが解散した直後、トライアングルとして掲載のシングル盤A面曲「トライアングル・ラブレター」で堂々のレコードデビューを果して以降も、テレビ出演等々は多かった反面、局地的には風当たりが強かったと……。
ですから、デビュー翌年にはメンバーチェンジがあり、クーコ=大塚邦子が抜けて、加藤アキ=アキが新加入するも、いよいよの尻つぼみ感は強まるばかりだったんですが、さりとて彼女達が残したレコードを虚心坦懐に聴いてみれば、なかなかの秀作が揃っています。
それは唯一のヒット曲と認定(?)されるこの「トライアングル・ラブレター」からして、作詞:島武実&作編曲:穂口雄右という本家に関わりの深いソングライターコンビからの提供という事実、またなかなかのロック風味の強さ共々に、個人的には高得点♪♪~♪
ちなみにトライアングルが記憶されるもうひとつの印象が、そのステージ衣装の露出度の高さというポイントも忘れられないところで、時にはベビードールの如き超ミニスカとか、ピッチピチのホットパンツ、また男性週刊誌のグラビアとか芸能人水泳大会におけるサービス性感度の高い水着姿、腋&横乳見せを誘発させるようなノースリーブなファッションも当たり前にありましたですねぇ~~♪
しかし、奮闘空しくというか、フェードアウト気味に昭和56(1981)年初頭に活動停止~解散……。
そしてトライアングルが決して忘れられていないのは、メンバーのミッチが小森みちこと改名し、昭和57(1982)年の日活ロマンポルノ「あんねの子守唄」に出演すれば、これが大ヒット! 忽ちのプログラムシステムにより、続けて「あんねの日記」も制作公開されるいう社会現象にっ!?
ここでサイケおやじがなんとも驚かされたのが「21歳の処女」という、日活による彼女のウリだったんですが、そ~いえばデビュー当時に所属していた渡辺プロダクションって、新人女性歌手&アイドルタレントには「処女」と言わせるのが社是だったようで、天地真理もキャンディーズも例外では無かったんですから、その精神は流石の肝っ玉というか◎▼?△
ということで、アイドル業界の厳しさは今も昔も変わりないとは思いつつも、そこで登場した各々がなんらかの印象や実績で少しでも我々の記憶に刻み込まれたのであれば、立派な成功と呼んで差し支えないんじゃ~ないでしょうか。
どんな社会でも、全ての人が陽のあたる場所には居られないのですから、例え一瞬の陽だまりだったとしても、その中で生きられた時間は羨望です。
いわんやアイドルをや……。

呆れと恐怖が怒りより大きいです

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隣国に出張してますが……。

それにしても我が国へ向けてのミサイル発射は暴挙の極み!

直接的な被害云々よりも、その行動が喧嘩を仕掛けているんじゃ~なかろうか!?

旅先でも、相当な騒ぎになっていて、後が怖くなりました。

 

帰ってきました

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それにしても、あの国の本気度は常軌を逸していますよっ!

くわばら、くわばら……。

さて、明日からは、こっちも気持ちを入れ替るぞぉ~~っと!

 

煙草があれば、いろいろと

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■プカプカ / 殿岡ハツエ (エレック)
相変わらず緊張感に乏しい国会ではありますが、そこで審議対象になっている受動喫煙対策法案は、だんだん苦し紛れの矛盾が多く、どうにもすっきりしないサイケおやじです。
説明不要とは思いますが、これは非喫煙者が煙草の煙を吸い込む事への配慮が主目的であるならば、医療機関や小中学校は敷地内、大学や官公庁等々は建物内を禁煙とし、飲食店等々は新基準を満たす喫煙室を設置する云々という原案に対し、小規模の店は例外というんじゃ~、ミョウチキリンな話でしょう。
狭い場所ほど、禁煙にしなければ、非喫煙者を守るという意義が無いわけで、結局のところ、この法案はこれから開催が予定されている東京オリンピック&パラリンピック等々に関連して、諸外国へ良い顔を見せたいというカッコマンの独り善がりじゃ~ねぇ~のかっ!?
ちなみにサイケおやじは昭和62(1987)年4月1日から、それまで時には1日に百本以上吸っていた事もあった煙草をぴったり止めていますので、喫煙者・非喫煙者の両方の気持は理解出来るつもりなんですが、だからこそモヤモヤした気分を感じるのが、この法案というわけです。
もちろん、煙草が健康に悪い事は承知していますし、煙草の生産販売で生計を立てている人達もいれば、煙草でストレスを発散する人だって決して少なく無いんですからねぇ~~、根底には難しい問題がある事も確かで、件の審議が妥協点を模索するのはわかるんですが……。
さて、そこで本日取りだしたのは所謂タバコソングの人気曲「プカプカ」を歌った殿岡ハツエのシングル盤なんですが、まずはジャケ写の雰囲気の良さが、まさに昭和の粋とでも申しましょうか、これが発売された昭和49(1974)年なればこそ、少なくとも昭和50年代の我が国では、煙草を吸う女性の仕草にも、イイ女っぷりが表れていたものです。
なにしろ主役たる殿岡ハツエは日劇ミュージックホールをメインに活躍していた当時のトップダンサーのひとりであり、映画やテレビにも頻繁に出演していたのですから、それも当然が必然でしょうか、サイケおやじは殊更テレビの深夜番組で舞い踊る殿岡ハツエに圧倒させられた青春時代が確かにありましたですねぇ~~♪
また、これは後追いで鑑賞したのですが、日活の神代辰巳監督の昭和43(1968)年のデビュー作「かぶりつき人生」では堂々の主役に抜擢され、劇中ではストリッパーを職業する女性を見事に演技きっていますので、必見ですよ。
サイケおやじは、この哀しくも胸キュンの物語に、ちょっぴりウルっとしてしまった思い出があります。
閑話休題。
で、肝心の殿岡ハツエの「プカプカ」なんですが、作者はご存じ西岡恭蔵ながら、興味深いのはアレンジとバックの演奏が鈴木茂(g)、細野晴臣(b)、林立夫(ds)、松任谷正隆(key) から成るキャラメル・ママであるという事でしょう。しかも今もって謎になっているのは、そこに「+2」として、正体不明のミュージシャンが参加しているわけでして!?
しかし、個人的にはイマイチというか、ジャズっぽいアレンジが失礼ながら裏目というか……、所謂スイングしている気がしないんですよ、歌も演奏も。
もっと素直に懐古趣味調のフォークロックでも良かったと思うんですけどねぇ~~、例えばラヴィン・スプーンフルみたいなと書けば、ディランII(セカンド)のバージョンに近くなるんでしょうけど……。
ですから、殿岡ハツエのプカプカは、やっぱりこのジャケ写を愛でながら聴くところにこそ、有難味が♪♪~♪
ということで、煙草の功罪が一概に決められないのは自明の理であって、なかなか法律で縛ろうとするのも難しいと思われます。
それゆえに、今後の行方を注視したいです。

今日は…

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朝から仕事が縺れて、現在も暗中模索というか……。

なんとか逃げ道を探っております。

それとPCが不調で、外部からのリモートアクセスが苦しいです。

メモリーが矢鱈に食われているような……。

本日の1枚は休載、ご理解下さいませ(__)

フランスはねぇ~~

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■愛してモナムール / 岩崎良美 (キャニオン)
何の恨みもありませんが、ど~もフランス人が苦手なサイケおやじです。
それは自分がフランス語がほとんど分からないという事もありますが、何というか人間としてのノリが異なっている様な気分なんですよ。
また、フランスという国へも、飛行機の乗り継ぎで空港に滞在(?)した事が2回ほどあるだけですし、美味しいという定評があるフランス料理にしても、個人的にはそれほど堪能させられた事が無いもんですから、フランス映画とか、ファッションセンスとか、アルセーヌ・ルパンの物語とか、夫レンジジャズ&ポップスぐらいしか馴染が薄いというのでは、国民性を直感的にも理解し難いわけでして……。
と書いたのも、実は現在、フランス人との仕事が進行中なんですが、そんな心持が昔っからあるもんですから、組織の意向とは別に、サイケおやじの腰は引け気味です。
う~ん、でも、虚心坦懐に進めていく事が大切なんでしょうねぇ、とにかくも。
それはフランスやパリが、やっぱり世界中の人々から憧れの地とされる事にも所以の証明というか、例えばそれを歌い込んだ楽曲だけでも、夥しく作られてきましたからねぇ~~~。
岩崎良美が昭和57(1982)年に出した本日掲載のシングル盤A面曲「愛してモナムール」も、そのひとつとして、これがなかなかにオシャレなアイドル歌謡になっています。
なにしろ歌詞の中には「オペラ座」「ボンジュール」「モナムール」等々、我々日本人にもそれなりに知られているフランスの言葉が用いられていますし、どうやらパリを舞台にした恋愛賛歌に附されたメロディの柔らかな高揚感は流石、作詞:安井かずみ&作曲:加藤和彦の手際の素晴らしさ♪♪~♪
加えて岩崎良美の素直な歌唱力を存分に引き出した清水信之のアレンジも秀逸だと思います。
あぁ~、このライトタッチのリズムにジャストミートの節回しは、ほとんど当時流行のニューミュージックに限りなく近い仕上がりでしょう。
そして、だからこそ、アイドル歌謡としては浮いてしまったというか、オシャレ過ぎてローティーンのファンには親近感が薄くなってしまったのでしょうか、完成度とは裏腹に、それほどヒットしていたという記憶がサイケおやじにはありません。
う~ん、そのあたりも「フランス」という印象の功罪と書けば、それはサイケおやじの思い込みであり、ふっと当時を思い出せば、フランスの印象やフランス語の響きを用いた歌謡曲やニューミュージックが次々と世に出ていたわけで、例えばアン・ルイスの「ラ・セゾン」とか、松原みきの「倖せにボンソワール」等々、これが如何にも1980年代的でありましたし、そ~云えばもっと以前には辺見マリが「ダニエル・モナムール」という名曲を大ヒットさせていましたですねぇ~~♪
うむ、やっぱりフランスは侮れないなぁ~~、と独り納得するしかないような……。
ということで、今夜もフランス人と諸々の話の予定ではありますが、あんまりビジネスライクにしたくないのは相手方も同じみたいですし、ここでこ~して泣言を連ねた見苦しさを境に繰り言は止めにします。
失礼致しました。

6年目の春に

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東日本大震災の慰霊祭に参加して来ました。

あの未曽有の大惨事も忘れてはなりませんが、同時に前向きな復興が様々に進んでいる現実も確かにあります。

そのところを認め、そして更なる支援・応援を続けていく必要性を痛感させられました。

記憶の風化云々はマスコミの決まり文句ではありますが、当時の惨状は直接的な被災者ならずとも、忘れられるものではありません。

それなのに避難者へのイジメとか、補助金詐欺や使い込みが絶えないのは、日本人としての恥を知らない者の所業ですよ。

今日は「らしくもなく」説教紛いの文章を連ねてしまいましたが、本音を抑えきれないのが正直な気持ちです。

前向きな力は確かに強くあって、それを微力ながら応援していきたいのが、サイケおやじの本日の決意であります。

 

 

桜田淳子の黄色いリボン

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■黄色いリボン / 桜田淳子 (日本ビクター)
なんだか最近、芸能界への本格復帰が噂される桜田淳子はご存じのとおり、テレビスカウト番組「スター誕生(日本テレビ)」において圧倒的な評価と支持を集めてのデビューだった事は今や伝説ではありますが、彼女自身の信仰の自由を悪い方向へと解釈する報道や結婚からフェードアウトした経緯はファンならずとも忘れられていないでしょう。
しかし、逆に言えば、それでも桜田淳子のスタア性は失われていない事の証明でもあり、もしも芸能界へ戻って来るとなれば、大きな騒ぎは必至でありましょう。
と書きながら、サイケおやじは決して彼女のファンであったわけではなく、歌謡界のアイドルスタア歌手とは認識していながら、レコードはそれほど所有してはおらず、告白すれば、その僅かな私有盤にしても、中古ゲットばかりなのが実情ですから、桜田淳子については、熱く語れるところがありません。
なにしろ彼女が昭和48(1973)年に鳴り物入りでレコードデビューを飾り、連日の様にテレビ出演していた頃には、何時も被っていた例の帽子、確か「エンジェルハット」とか称されていたその印象ばかりが強く、楽曲そのものについては些か当たり前過ぎる感を覚えるという不遜な態度でしたからねぇ……。
ところが翌年になって出した本日掲載のシングル盤A面曲「黄色いリボン」は、最初に某レコード屋の店頭で聴いた瞬間、うっと呻かされたほどのインパクトがありました。
それは曲調の基本にスイングジャズっぽいノリとメロディがむあり、カラオケパートの演奏にしてもゴージャスなブラスセクションと不思議な躍動感が計算されたようなリズム隊の存在が素晴らしく、中でもエレキベースの確信犯的に目だった動きは、当時の歌謡曲としては変態的と思えるほどだったんですねぇ~~♪
そして桜田淳子のボーカルにはエフェクターとエコーが付与され、おまけにダブルトラックによる節回しが、これまた浮世離れしているというか、桜田淳子が本来の声質を活かしつつも、奇妙な味わいすら覚えるのは、ハリウッドポップスにおけるワーナー&バーバンクサウンド系の面白さに共通するものを感じるほどでした。
つまりハリウッドで作られていた往年の映画サントラ音源の響きがアイドル歌謡に用いられていたかのような、これはサイケおやじの完全なる独断と偏見であろうとも、楽曲そのものが既に述べたとおり、スイングジャズ調であれば、それは周到に作られた成果と思いますが、いかがなものでしょう。
定型というには複雑な代理和音を用いたコードの展開も良い感じ♪♪~♪
また、これは完全な後付けになりますが、数年を経て中古で入手したレコードで聴いてみると、前述したダブルトラックのボーカルには各所でズレが散見され、もしもそれが意図的に残され、或いは作為的に仕掛けられたのだとすれば、作編曲を担当した森田公一は流石に天才であり、まさに当時のアイドル歌謡を作らせては最高のソングライターが存在証明でありましょう。
ただし、もうひとつ不遜な事を書かせていただければ、阿久悠の綴った歌詞にはちょっぴり何時ものスパイスが足りないような……。
それでもこの「黄色いリボン」は間違いなく、いよいよ桜田淳子の大ブレイクに繋がる指標であり、具体的にはテレビ出演時には超ミニスカの衣装でダンス系アクションも交えて歌う姿からは、キラキラした本当のアイドルスタアの輝きが見て取れましたですねぇ~~♪
ということで、桜田淳子が大スタアであった事は言うまでもなく、だからこそ復帰が望まれるとはいえ、そこで昔の騒動(?)を蒸し返す報道をやろうとするマスコミの姿勢が強く出るのであれば、例えそれが話題作りであったとしても、素直ではないと思います。
ファンのストレートなアイドルへの思いこそが、芸能界やそこに縋りつく(?)マスコミを支える原動力のひとつであるとすれば、余計な夾雑物は不要と思うばかりです。

それぞれの春休み

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■春休み / 水谷麻里 (ビクター)
ど~しても内向きになりがちな冬が過ぎ、ウキウキするような陽光の中にあっても、やはり春は別れと旅立ちの季節ですから、センチメンタルな気分と高揚するハートビートを同時に感じる事が出来るという、なかなか一年の内では貴重な時間だと思います。
それは齢を重ねても変わらぬ心情でありましょうし、殊更青少年期には「春休み」という、せつなくも前向きな時間が用意されている事は、人それぞれに様々なドラマが作られる素敵なプレゼントかもしれません。
さて、そこで本日ご紹介するのは、そのものスバリっ! 
水谷麻里が昭和63(1988)年早春に出したシングル盤A面曲「春休み」なんですが、水谷麻里の春の歌と言えば「春が来た」があまりにも有名であり、そのブッ飛び具合は追従を許さぬ仕上がりだった事を思えば、この「春休み」は正統派アイドル歌謡の王道作品として、これまた如何にもの王道路線なんでしょうか?
と書いたのも、当時は例の「おニャン子」系アイドルが全盛期であり、所謂集団アイドルの端緒的ブームの中で、水谷麻里は「単体」として頑張っていたのですから、作詞:サエキけんぞう&作曲:平井夏美 そして編曲:川上了の制作スタッフも本気度は高かったように思いますし、実際に仕上がった楽曲はアップテンポの洋楽歌謡とでも申しましょうか、リアルタイムで流行っていたサンウド作りは当然ながら、平井夏美の書いたメロディラインには随所に往年のヒットポップス風味が滲み出ており、匠の技の冴えを感じてしまいますねぇ~~♪
ちなみに平井夏美とは、ビクターやソニーで秀逸、そしてマニアックなアイドルポップスを手掛けていたディレクターのK氏という説が知られていますが、とにかくビートルズ&ビーチボーイズへの造詣の深さは相当なものと思うばかりです。
閑話休題。
で、肝心の水谷麻里の歌唱は決して万全とは言い難く、失礼ながら危うい部分を個性とか魅力と思えば、なかなか胸キュンの印象が残ります。
そして特筆しておきたいのが、彼女にとっては、これがアイドル時代最後のシングル曲になってしまったという事実りであり、それは皆様ご存じのとおり、人気漫画家の江口寿史との結婚は彼女が選んだ道ですから!
その意味で曲終わりに彼女のデビュー曲「21世紀まで愛して」のメロディがループ気味に入れられているのは大切な意味があったのだっ!?!
というふうに解釈されているそうで、実はサイケおやじは、それに関して知ったのは後追いなもんですから、本音では実感していなかったんですけど、なかなか上手いフェードアウトの仕掛けにはニンマリさせられましたですよ。
う~ん、そう思えば――
 宝石箱へと想い出をつめる  Bye-bye 春休み
という歌詞も相当に意味深ですねぇ~~、サイケおやじは好きです♪♪~♪
最後になりましたが、サイケおやじが一番に自覚した春休みといえば、高校を卒業した直後の時期で、運良く進学も叶い、これからは大人の仲間入りとばかりに、それまでは後ろめたい気持ちを隠しながら入場していた成人映画を上映している映画館へも堂々とっ!
てな事を実践していたのですから、いやはやなんとも、今でも額に汗が滲むのでした。

白い一日

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と言っても雪が降っている街にいるわけもなく、ましてや井上陽水の名曲にも関係がなく、今日はホワイトディとかで、バレンタインディに贈られた義理チョコの返礼という名目に女子会へ献金(?)の午前中……。

そして午後からは定期健診にて、眼底検査を受けさせられ、瞳孔を強制的に開く薬を点眼され、目の前が真っ白!

ようやく少~し回復してきたんで、なんとかこれを書いている次第です。

ということで、やっぱり目が疲れるので、本日はこれにて失礼させていただきます(__)

 

春にやってきたポピンズ

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■妖精ポピンズ c/w ストロベリー・プリンス / ポピンズ (CBSソニー)
別に歌謡曲に限りませんが、これまで数多発表され、巷に流れた諸作の中で、サイケおやじが気に入った歌や楽曲がヒットした確率は当然ながら高くありません。
つまりは、それもまたサイケおやじの好みのズレを証明する事柄なんでしょうが、制作側だって、あえて売れそうもない商品を出すほどの酔狂は稀なはずですから、結果論として、市場の未来予測における最大公約数を図り損ねたという、些か堅い論評よりは、時代にアクセス出来なかった……、と納得するのが素直な解釈なのでしょうか。
例えば昭和61(1986)年春に本日掲載のシングル盤でデビューしたポピンズは、ルックスはサイケおやじが興味を抱かないロリ風ぶりっ子ながら、しかしその佇まいからは妙にナチュラルな色っぽさが滲み、しかも、これが一番にサイケおやじの好みだったのが、オールディズ趣味が程好く感じられる楽曲の仕上がり具合でありました♪♪~♪
それはとにかく作詞:売野雅勇&作曲:井上大輔、そして編曲:清水信之が手掛けたA面曲「妖精ポピンズ」を聴いた瞬間、グッとシビレが止まらなくなったほど、サイケおやじのポップス愛好性感度のツボをストレートに刺激する美味しさが満点♪♪~♪
全体としてはキーボード主体の音作りに弾んだリズムのアップテンポ曲であり、コード進行も循環系ではありますが、隠し味的なスパイスの利いたアレンジには、殊更バックのコーラスが春~初夏向きのビーチボーズ由来という、そのハリウッドポップスっぽさがニクイばかりに横溢していますし、ポピンズのボーカルの子供っぽさには、1970年前後にアメリカを中心に流行ったファミリーグループ的なホノボノ感があるんですから、基本的に洋楽で育ったサイケおやじ世代にとっては好ましいわけなんですが……。
それゆえに当時のローティーンにはアクセスし難い現実があったのでしょう、結果的にブレイクは局地的で、何時の間にかフェードアウト……。
それでも今もって根強いファンが存在しているのは、まず彼女達のキュートなルックスを活かした衣装やフリが演じる歌に合っていた事も大きいようで、この「妖精ポピンズ」にしても、テレビ出演時にしか接した事の無いサイケおやじが、超ミニスカから露出(?)されたムチムチした脚や腰&尻の動きのセックス連想疑惑等々、これじゃ~ロリコン趣味の皆様なれば、辛抱たまらんの世界じゃ~なかろうかぁ~~♪
なぁ~んて余計なお世話も積み重ねるわけですが、例え言い訳と受け取られようが、サイケおやじとしては、やっぱりこのシングル盤に収められた楽曲にシビレているのが一番に正直な気持ちでありまして、作詞:亜伊林&作編曲:馬飼野康二が担当のB面曲「ストロベリー・プリンス」も、A面と同趣向の味わいは捨て難いですよ♪♪~♪
ちなみに書き送れてしまいましたが、ポピンズは金子恵実と芳賀絵巳子のリアルタイム高校生デュオと紹介されており、立ち位置左側が金子恵実だとすると、彼女はポピンズがフェードアウトして以後、グラビアアイドルとして人気を集めた「金子えみ」と同一人物なんでしょうか?
勉強不足のサイケおやじですから、あまり不確かな事は書けないと自覚しつつも、ポピンズが殊更実演の場で滲ませていたフェロモンを勘案すれば、その確立も低くはないのでは?
ということで、妄想主体の本日のご紹介ではありますが、とにかくポピンズが残してくれた「妖精ポピンズ」は、アイドル歌謡ポップスの裏人気作と思うばかり♪♪~♪
「表」にならないあたりこそ、サイケおやじの愛着も深いというわけです。

杏真理子を聴ける幸せ♪

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■地下鉄のスー c/w 風とともに消えた / 杏真理子 (日本コロムビア)
久々の朗報♪♪~♪
それは昨夜、閉店ギリギリに飛び込んだ某大型ソフトショップで、なんとっ!
杏真理子の「コンプリート・シングルス +」という復刻CD遭遇し、もちろん速攻でゲットした後は、愛車の中でも自宅でも、聴きまくりの桃源郷であります♪♪~♪
いゃ~~正直、待ち望んでいたとはいえ、まさかっ!?
て思うほど、杏真理子の認知度が、ここまで高まっていた結果は潜在的なものではありましたが、これを機会に、広く歌謡曲ファンには彼女の歌が手軽に堪能出来る幸せをっ!
と、思わず力が入ってしまいましたが、本日は件のCDにも当然収録されている、昭和47(1972)年5月に発売された彼女の4枚目のシングル盤をご紹介させていただきます。
なにしろこれがサイケおやじの愛聴盤のひとつであり、本来の彼女の持ち味である泥臭さがファンキー&フォーキーという洋楽志向へと活かされた仕上がりですからねぇ~~♪
それはまず、作詞:阿久悠&作曲:彩木雅夫、そして編曲:小杉仁三によるA面「地下鉄のスー」が、ほとんど和田アキ子中村晃子が歌っても違和感を覚えないであろう、所謂R&B~ソウル歌謡の典型であり、もちろんミディアムアップの演奏にはソウルジャズ系のグルーヴが横溢していますよ♪♪~♪
あぁ~~、このギターのフレーズと音色、間奏におけるオルガンのアドリブ、アタックの強いホーンセクションは言わずもがな、シャープで粘っこいリズムを叩き続けるドラムスのビート感も、実にたまりません♪♪~♪
ですから杏真理子も堂々の実力を発揮する歌唱を披露しているんですが、欲を言えば、もう少し阿久悠の綴った歌詞に色恋沙汰の下世話さがあればなあ~~、という不遜な思いがサイケおやじには確かにありまして、そのあたりが大衆的なヒットに結び付かなった要因でしょうか……。
しかし、だからこそ、時代を超えてというか、レアグルーヴ歌謡の逸品として、現在の方が人気を集めているのは悲喜こもごもというわけでして、そのあたりも味わい深いのが昭和歌謡曲の楽しみのひつと思います。
そしてその意味も含めて、これまた素敵なのが同じ作家コンビが提供したB面曲「風とともに消えた」で、こちらはリアルタイムの流行最先端であった歌謡フォーク味が強く滲み出た傑作♪♪~♪
タートルズっぽい雰囲気を入れた馬飼野俊一のアレンジも秀逸ですし、泣きメロにジャストミートした刹那の歌詞、それを力強く、また同時に哀愁を漂わせて歌う杏真理子の魅力には我知らず、グッと惹きつけられてしまいます♪♪~♪
ということで、冒頭に述べた復刻CD「コンプリート・シングルス +」にはシングル曲、唯一残されたLP収録曲に加えてカラオケテイクも含む全24曲が収められ、気になるマスタリングにも個人的には特に問題は感じませんので、お楽しみ下さいませ。  
さあ、もう一回、聴こおぉ~っと♪♪~♪

ボヤキご容赦…

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仕事が縺れて、ついに先方とサシで対決するハメになりました。

と書けば、なんだか任侠映画みたいですが、そこまでカッコイイものじゃ~なくて……。

最後はど~せ、銭金の話になる事は自明の理です。

こっちに非が無いのは周知の事実なれど、別に弱い者イジメしているわけじゃ~なくて、と言い訳を繕わなければならないのが、アホらしい!

そんなこんなで本日の1枚は休載、ご理解下さい。

今夜は気分転換にバカ騒ぎしたいです。

失礼致しました。

やるだけやって

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仕事で縺れた諸々を解いて解決するべく、九州にやって来て、これから戻ります。

卑屈な気持ちからではなく、やっぱり頭を下げる事の大切さをあらためて痛感しております。

どうにか心も晴れました。

昨日に続き、本日もご報告オンリーで申し訳ございません(__)

明日からは、前向きにやりますよっ!

ベタな歌謡フォークって、やっぱりウケるよねぇ~~

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■水色の街 / 三輪車 (東芝)   学生時代に入れてもらっていたアマチュアバンドは基本的にアメリカンロックを標榜していながら、諸事情から当時流行の歌謡フォークをライブの現場で演じなければならないという、ど~にも自己矛盾の活動に終始していた話は、これまでにも拙ブログでは度々書いてきたわけですが、三輪車と名乗る3人組が昭和49(1974)年に出したとされる本日掲載のシングル盤A面曲「水色の街」も、サイケおやじにとってはホロ苦い思い出の……。
それは昭和50(1975)年の春、ちょうど今頃の時期だったんですが、件の入れてもらっていたバンドメンバーや仲間共々に関西の某所に合宿を名目にした物見遊山へ出かける事になり、併せて幾つかの場所でライブもやらせてもらえるという仕込みもあったもんですから、サイケおやじもホイホイ浮かれて連れて行ってもらったまでは良かったんですが、皆様ご推察のとおり、そこで演じなければならなかったのはロックじゃ~なくて、予めリクエストされていた歌謡フォーク主体のプログラムだったんですから、なんだかなぁ……。
で、この「水色の街」も、その中にありまして、曲調はアップテンポの典型的な爽やか歌謡フォークだったんですが、実はサイケおやじも、またバンドの先輩諸氏も、ほとんどこの楽曲を知らず、ところが関西地区では堂々の大ヒットになっていたというのですから、まさに自分達は井の中の蛙だったというわけです。
なにしろ山崎稔(vo,g)、西之辻功(vo,g)、田川昭夫(vo.b) のトリオ編成だった三輪車は関西出身であり、リアルタイムで大学生だったというのですから、年齢的にも自分達と同世代のグループが既にプロとしてデビューし、人気も高かったというのでは、我々の胸中をお察しいただければ幸いでございます。
もちろん、自分達は誰もプロになる気は微塵もなかったんですけどねぇ~~、そんな言い訳を弄する事だけでも、姑息に思われるのは必至の状況の中、とりあえず早速レコードを入手し、コピーに勤しんでみれば、山崎稔の作詞作曲は売れセンがど真ん中ですし、軽快なリズムやストリングスを歌謡ポップス調に用いた竜崎孝路のアレンジも用意周到で、告白すれば、演じての気持良さが「水色の街」には確かにあるんですねぇ~♪
ただし、失礼ながら、どうにもペチャペチャしたリードボーカルの「味」だけは、サイケおやじには許容出来ない世界であり、これはバンドの先輩諸氏も同意見でしたので、なんとかウエストコーストロックに変換しようとあれやこれや、そんな試行錯誤こそが、バンドをやる楽しみのひとつでありました。
で、肝心のライブでの結果は、まあまあのウケがあったんで、ちょっぴりイイ気になっていたですよ、なにしろそこは某大手企業の主力工場のパーティー会場で、女子工員さんが大勢集っていましたからねぇ~~。
う~ん、やっぱり歌謡フォークをやらなけりゃ~、女の子には相手にされない!?
恥かしながら、そんな人生訓めいたものを感じたほどでしたが、考えてみれば当時はガロ、かぐや姫、アリス等々が人気を集めていた、つまりはトリオ編成で歌謡フォークを演じるのが流行最先端であれば、さもありなん……。
問題はサイケおやじが、そこに覚悟を決められるかが問われるわけでして、答えは否だった事は、こうして今、こんな戯言を綴っている事に収斂しております。
最後になりましたが、三輪車のメンバーの中では山崎稔が後にソングライター&プロデューサーに転身し、多くのヒット作に関わっている事は皆様ご存じのとおりです。
それとちょい前、NHKの朝ドラ「あさが来た」の主題歌として大ヒットした「365日の紙飛行機」が、この「水色の街」のパクリとして話題になっていましたが、それは否定出来ないとサイケおやじも思いますので、気になる皆様はご確認下さいませ。
まあ、ウケる歌の黄金律は不滅ということで♪♪~♪

チャック・ベリー、逝く…

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■Chuck Berry's Greatest Hits (Chess)
 A-1 Roll Over Beethoven
 A-2 School Days
 A-3 Rock And Roll Music
 A-4 Too Much Monkey Business
 A-5 Johnny B. Goode
 A-6 Oh, Baby Doll
 B-1 Nadine
 B-2 Maybelline
 B-3 Memphis
 B-4 Sweet Little Sixteen
 B-5 Thirty Days
 B-6 Brown Eyed Handsome Man
チャック・ベリーが天国へ召されました。
故人の偉業については、あらためて述べるまでもないほど、現代の大衆音楽に強く、深く浸み込んでいるわけで、殊更ロケンロールの基本的なノリを定着させたのは、チャック・ベリーに他ならないと思っています。
そして、そこで威力を発揮したのが、本人が歌いながら弾いていたギターの存在感であり、アンプにシールドで直結したギブソンのESから飛び出すリズムとビート、そして明らかにそれまでのブルースやジャズ等々の黒人音楽とは似て非なるシンコペイトしたリックは、自作の歌にはジャストミートの合の手となり、同時にリスナーをエキサイトさせる魔法の源泉であった事は、現在も変わらぬ真理でありましょう。
ですから、今に繋がるロックの基幹であるギターヒーロー、スタアプレイヤーのほとんどは、チャック・ベリーに由来するスタイルから脱却していないんじゃ~ないでしょうか。
また、それが凄いのは、チャック・ベリーのギター奏法やフレーズは、基本的に3~5~7フレットをメインにスラーやダブルノートのピッキングを用いた、比較的シンプルなスタイルですから、フレーズそのものは中学生でも練習すれば、それなりに弾けるものではありますが、ところが実際にやってみると、あの強烈なノリを出すのは至難のワザ!
逆に言えば、それが出来ればロケンロール&ロックはやれるはず!
という真実の探求を提示しているわけで、例えそれがサイケおやじの独断と偏見であろうとも、思い込んだら試練の道の練習意欲を喪失させられるものではありません。
さて、そこで本日掲載したのは、そんなサイケおやじがチャック・ベリーのギタースタイルを練習するべく愛聴していた故人のベスト盤で、収録されているのは上記のとおりのヒットパレードですから、既に耳に馴染んだ名曲名演を自分の両手に伝える作業も、ちっとは楽になるはずと思いきや、聴くほどに、そしてコピーに勤しむにつれ、その真髄に迫るなんてこたぁ~、不遜の極みと痛感させられるばかり……。
結局は難しいところを端折り、ゴマカシに走るという姑息な逃げ道の研究に結び付いてしまったのが、サイケおやじの真実の懺悔であります。
ということで、チャック・ベリーに関しては、これからも語りつくせぬ業績と伝説が残るばかりだと思いますが、本日のサイケおやじとしては、衷心よりご冥福を……。
合掌。

イノセントな春の微熱

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■春 / 沢田聖子 (クラウン)

ここ数日、ポカポカ陽気だったのとは反対に、どうにも今日は肌寒さを覚えるサイケおやじですが、皆様はいかがでございましょう。
そこで取り出したのは、思いっきりベタな選曲ではありますが、沢田聖子が昭和56(1981)年3月に出したシングル盤A面収録「春」であります。   
 春ぅ~ 早くぅ~ 来てぇねぇ~~ 私のぉ~所へ~~♪
 あ~のぉ~人の所へ~ とどけてあげたいぃ~~~♪
疑似バロック調というか、ちょっぴり勿体ぶったイントロから躍動的なリズムに転じて、こんなふうにイノセントな声質と節回しで歌われちゃ~~、ロリ趣味が無くっても、相当にイチコロモードに誘われてしまいますねぇ~~~♪
微妙に中華メロディが滲んでいるような気がするのも、なかなか良い感じだと思うところですが、楽曲そのものはイルカのオリジナルとして、作者本人が既に昭和49(1974)年に発表していたというのですから、これは所謂カバー物ではありますが、ここでは渡辺博也のアレンジが如何にもの歌謡フォークがど真ん中であり、その胸キュン性感度の高さはニクイばかり♪♪~♪
ちなみに沢田聖子は同時期に売れまくっていたアイドル歌手の松田聖子と芸名の字面が似ているので、その紛らわしさと愛くるしいルックスが相乗効果としてのマイナスのベクトルを描いている事は否めませんが、沢田聖子は「さわだしょうこ」と読むのが正解であり、音楽性の基本はシンガーソングライターであって、しかもアイドル性を持ち合わせていたという稀有な存在でありました。
ただし、彼女が第一線で活動していた時期の我が国芸能界は、本格的なアイドルシンガーが男女共に必要とされていた頃でしたし、一方ではニューミュージックと称された新種の歌謡曲が完全に市民権を得ていたのですから、そんな流行に染まりきらない沢田聖子の魅力には熱心な信者が現在でも少なくないと言われています。
つまり逆に言えば、彼女はその佇まいとは裏腹に孤高の存在でもあったと書けば大きな勘違いかもしれませんが、そのイメージですら、例えば中島みゆきの様な、ある種の毒性が無い分だけ、地味という一言で片づけられるというか……。
ちなみに沢田聖子は前述したイルカの妹分としてデビューを飾ったそうですし、実際に同じ事務所に所属して活動していた事から、この「春」も堂々のお墨付きがあったのでしょう。残念ながら大きなヒットにはなりませんでしたが、当時はラジオや有線から頻繁に流れていた記憶がありましたので、サイケおやじもすっかり刷り込まれた結果として、後年中古屋でゲットしてしまったのが、掲載の私有盤というわけです。
ということで、本日は特段のオチもございませんが、春なればこその微熱な気分や曖昧な心境は、日頃のリスニングライフにも影響するのは確かであって、案外と聴いていなかった、もしくは聞かず嫌い巣になっていた歌や演奏が気になったりするようです。
そんな気分を噛みしめつつ、サイケおやじは持ちネタのレコードを聴き直したい欲求に苛まれております。
あぁ……、もっと時間を!

永久不滅のプレイガール:真理明美の巻

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■忘れたいの / 真理明美 (テイチク)
既にお知らせしたとおり、「CS東映チャンネル」では、いよいよ「プレイガール」の再放送がスタート♪♪~♪
ですから、初回から2話ずつが流される木曜日は毎週のワクワクするお楽しみであり、何かと辛い日々に苛まれているサイケおやじにとっては、とにかく生き延びる心の拠り所になっているほどです。
さて、そこでプレイガールの初代レギュラー女優は全員が自己名義のレコードを出しており、中でも真理明美は本日掲載のシングル盤A面曲「忘れたいの」では本名・及川久美子のクレジットで歌詞も自作するという力の入った歌を披露しています。
しかも作曲:鈴木淳&編曲:森岡賢一郎がそれに附したメロディとアレンジが、発売された昭和43(1968)年秋の流行最先端を強く意識したエレキ&ソウルジャズな歌謡曲になっているんですから、たまりません♪♪~♪
そして真理明美のボーカルが、これまたジャストミートの節回しで、そのグルーヴィな歌いっぷりにはグッと惹きつけられますよ♪♪~♪
硬軟使い分ける声質や程好いコブシも良い感じ♪♪~♪
まさに女優の歌の魅力が全開の名唱&名曲と思うばかりですし、現在までに様々な復刻コンピレーションCDに収録されているのも納得されるところです。
しかし、それだけに彼女が残した公式レコードは、おそらくこれだけという現実が本当に勿体ない!
もっともっと歌の世界でも活躍していただきたかったと願うのはサイケおやじだけでは無いのでは……?
等々と書いてしまえば、真理明美の女優としての魅力や存在感は決して二の次ではありません。
そのデビューは昭和38(1963)年の松竹入社からスタートしていて、翌年には主演作「モンローのような女」が公開されて以降、クール&コケティッシュなイメージは後々の出演作でも強い印象を残していますが、中でも安藤昇の主演作「顔は男の履歴書(昭和41年)」における朝鮮人娘役が素晴らしく、これは現在DVD化されていますので、どうか皆様もお楽しみ下さいませ。
また、肝心の「プレイガール」ではクールなお色気とアクション、さらには如何にも現代的なオトボケの両刀使い(?)の演技が「らしさ」の存在証明!?
ところが当時、須川栄三監督との新婚生活もあった事から、番組撮影の過密スケジュールとの両立が苦しくなっていたそうで、ついには病に倒れ、ほぼ1年でレギュラーから降りてしまったのは残念……。
しかし、真理明美が演じてくれた「プレイガールのアケミ」は、決して忘れられる事がないはずで、それは現在再放送中の「CS東映チャンネル」で皆様もぜひ、ご確認下さい。
ちなみに、当然ながら、サイケおやじは件の再放送をリアルタイムじゃ~鑑賞出来ず、録画しておいて深夜に独り、端座して凝視するという、まさに生きている歓びに浸るのが、現時点毎週木曜日深夜の行動であります。
うむ、だから今日も生き延びようっ!

CS東映チャンネルの私的視聴方ご紹介

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先日来、しつっこく書いている「CS東映チャンネル」における「プイレガール」の視聴方法について、簡単に説明して欲しいというメールをいただきましたので、以下はあくまでもサイケおやじ個人の鑑賞設定ではありますが、ここにご報告させていただきます。
まず、件の「CS東映チャンネル」は有料プログラムで、それをテレビで鑑賞するには衛星放送用のアンテナかケーブル回線の設置が必要になります。
例えば前者はパラボラアンテナと配線工事が必要であり、後者もケーブルを引き込む作業が求められるんですが、アンテナの場合は立地条件や気象状況により、映像や音声に乱れが出る可能性がありますので、サイケおやじとしては後者を選択している次第です。
また、もちろん専用のチューナーが必要であり、テレビによっては既に内臓されている機種もあるようですが、ほとんどの契約会社では、そのチューナーはレンタルされるはずです。
で、サイケおやじの場合、まず契約しているのは「ひかりTV」で、これは光ケーブルの電話回線さえあれば、他に特段の工事は必要ありません。
料金は契約時期によって2ヶ月無料とか、様々なサービスがありますので、リンクによってご確認いただきとうございます。   で、まず申し込むと「チューナー」「接続ケーブル」「解説&情報誌」等々が送られてきますので、後は取説書に従って接続するだけです。
しかし、ここで問題になるのが、テレビとチューナーと光回線モデムの接続と距離です。
 テレビとチューナーは「HDMI ケーブル」  
 チューナーと光回線モデムは「LAN ケーブル」
ですので、必然的に関連機器は近い方が便利で簡単ではありますが、現実的な諸事情は避けられないわけで、とりあえずサイケおやじは、まずテレビとチューナーは最も近くに設置し、チューナーと光回線モデムは、LAN ケーブルの長尺物で対処するという方法を選んでいます。
ちなみに最初に付属しているLAN ケーブルは「平型の10メートル」でしたが、長さが足りないと申し込み担当者に相談したら、速攻で「20メートル」物を送ってくれましたので、遠慮は無用♪♪~♪
書き遅れましたが、チューナーやケーブルは契約解除時に返却が基本なので、不要のケーブルも紛失は厳禁かと思います。
また、ここのところを WiFi 無線 LAN 設定にする事も可能ですが、その場合は中継子機が絶対的に必要かと思います。
で、とりあえず接続したら、後は指示にしたがって諸々の入力設定をやるだけなんですが、基本的にOCNの契約があると、本当に簡単だったのはサイケおやじの実体験でした。   こうしていよいよ「ひかりTV」の視聴が可能になれば、基本契約料金だけで相当数のチャンネルが楽しめますし、BSも一部を除いて、ご覧になれますので、後は件の「東映チャンネル」等々のオプションを契約すれば、楽しい時間はお約束は保証付ですよ。
なにしろ「プレイガール」が観られるだけで、生きる希望が湧いてくるほどですから。
また、気になるのは、それが録画出来るのか?
という問題ですが、ご安心下さい。チューナーにはちゃ~んと外付ハードディスクが接続可能になっていて、2~3TBの容量があれば、ほとんど連日の録画もOKですよ。
そしてそれをディスクに移すには、PCとインターネット環境、さらに有料のソフトが必要になります。
それがソニーから出ている「PC TV プラス」で、価格は3千5百円ほど、ソニーのサイトからDL購入出来ますが、これさえあれば、PCでもCS放送が楽しめますので、オススメです。
ただし、これには「無線」よりも「有線 LAN」が確実性の点において必須でしょう。
特に録画していた番組をディスクに入れる時には、基本的に「ムーブ」の扱いが多いので、油断は禁物の要注意!
録画データの容量は、90分ほどのカラー映画で 7.5GB ほどですので、BD-R ディスク1枚が 25GB ですから、だいたい3本ほど入りますし、件の「プレイガール」であれば、6本は入りますので、これしかありませんよっ!
また、「東映チャンネル」の場合、再放送がしっかりありますから、ダブり録画も出来ますし、保存も万全を期すという体制に抜かりはありませんぜっ、ふっふっふっ♪♪~♪
ということで、本日は極めて簡略にご報告させていただきましたが、詳しくはやはり「ひかりTV」のサイトでご確認下さいませ。
さて、今日はこれから「プレイガール」を観るぞぉ~~っと!

フェロン女優の歌謡曲:荒井千津子の巻

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■ふうてんブルース / 荒井千津子 (日本ビクター)
女優が主役のセクシーアクション映画は殊更昭和40年代の我が国では多数制作公開され、もちろんそれは当時当たり前だった2本立プログラムピクチャーのB面的な扱いの作品が多かったとはいえ、むしろそちらがウケていた現実も確かにあり、また同じく日常のワンシーンでもあった街頭のボスターや立看板には、エグ味とエロ度の高い煽情的な場面を誇張したそんなこんなの映画が強烈に宣伝されていたのですから、青少年期のサイケおやじは、その人格形成に大きな影響を受けた事は言うまでもありません。
で、本日の主役たる荒井千津子も、松竹のそ~した作品で何本も主役を演じた女優さんで、例えば昭和43(1968)年だけでもアクション物の人気作「女めくら 花と牙」、猟奇系の「いれずみ無残」等々、物語の内容以上にエロい宣伝ポスターの絵柄は、今でもサイケおやじの記憶に鮮明ですので、未見の皆様は、ぜひともネットで探してみて下さいませ。
ですから、荒井千津子の魅力は、その頃に吹き込んでいたレコードにもきっちり活かされ、掲載の私有シングル盤のジャケ写をご覧いただければ、それも納得していただけるものと思います。
おそらくこれは昭和42(1967)年に発売された彼女のレコードデビュー作と言われていますが、とにかく作詞:帆歩健太&作編曲:鈴木淳が提供のA面「ふうてんブルース」は、所謂フェロモン歌謡であり、同時に芯の強い女の心意気をも歌い込んだ、これがなかなかの仕上がりですよ。
しかし、そ~は書きつつも、やっぱりこのジャケ写の方が魅力は絶大!?
それが、これですよっ、ど~ぞ、じっくりお楽しみ下さいませ。  
うむ、この美脚、このパンチラ、定番と云えば、それまでではありますが、男物のワイシャツは、セクシー女優の証かもしれませんねぇ~~。もちろんそれが似合う荒井千津子のスタアの輝きには、グッと惹きつけられるというわけです。
ということで、我が国には、まだまだ復刻されるべき女優のセクシーアクション作品が幾本も残っており、ぜひともそれを実現するべく、サイケおやじは余生を捧げたい気持ちなんですが……。
なかなか儘らないこの世の厳しさを噛みしめているのでした。
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