例によって出張中のサイケおやじです。
本当ならば、既に帰っているはずの時間なんですが……。
機体トラブルとか、なんとかで、足止め状態ということで、その間に中古屋を漁ってみると!?
捨てる神あれば、なんとやら!?
2枚ほど獲物がありましたので、何れご紹介しますね♪
あぁ、それにしてもスマホが不調なのも気になるなぁ〜〜。
失礼致しました。
例によって出張中のサイケおやじです。
本当ならば、既に帰っているはずの時間なんですが……。
機体トラブルとか、なんとかで、足止め状態ということで、その間に中古屋を漁ってみると!?
捨てる神あれば、なんとやら!?
2枚ほど獲物がありましたので、何れご紹介しますね♪
あぁ、それにしてもスマホが不調なのも気になるなぁ〜〜。
失礼致しました。
■Crter Barron Amphitheater Washington Dc July 17th / The Band (Keyhole = CD)
01 Don't do it
02 The Shape I'm in
03 It Makes No Difference
04 The Weight
05 King Harvest
06 Twilight
07 Ophelia
08 Tears of Rage
09 Forbidden Fruit
10 This Wheel's on Fire
11 The Night They Drove Old Dixie Down
12 The Genetic Method
13 Chest Fever
14 Up On Cripple Creek
15 The W.S.Walcott Medicine Show
これまた嬉しいザ・バンドのアーカイヴ物、と書きたいところなんですが、サイケおやじがイマイチ、素直に喜べないのは中身がラジオ用放送録音として既にブートで出回っていたブツと大差無く、しかも現在ではネットで普通に聴ける音源という正体があるからです。
しかし、だからと言って、これがダメという論法は成り立つはずもなく、例の「ラストワルツ」による解散を目前に控えた、1976年7月17日のライブステージを、一応はオフィシャル扱いの音質で聴けるのですから、ありがたや♪♪〜♪
そういう感謝の気持ちを忘れてはならないと思うわけです。
何故ならば、ここに収められたザ・バンドのライブにはホーンセクションも付いておらず、オーバーダビングも無いと推測される、極めて「素」に近い彼等の日常的な歌と演奏に接する事が出来るのですからっ!
特に当時はボロボロになっていたと言われるリチャード・マニュエルが、「Tears Of Rage」の刹那の名唱を筆頭に「The Shape I'm in」「King Harvest」「Chest Fever」等々で魂の歌を聞かせてくれのは高得点♪♪〜♪
なにしろオフィシャルの「ラストワルツ」じゃ〜、リチャード・マニュエルの出番が大きくカットされていましたから……、サイケおやじとしては大袈裟かもしれませんが、感極まるというわけです。
決して良いコンディションとは言い難い声の状態が、これほど逆手に活かされたのは流石とばかりも思えませんよ。
それともうひとつ、特筆しておきたいのがリック・ダンコの絶好調さで、十八番の「It Makes No Difference」は分かっちゃ〜いるけど、たまりません♪♪〜♪ もちろん躍動的でハートウォームなベースプレイも演奏全篇で素晴らしいかぎり♪♪〜♪
また、リヴォン・ヘルムの熱血も頑固なミュージシャン魂の発露という感じで、ご存じのとおり、この頃にはロビー・ロバートソンとの確執は修復不能とまで言われていたようですが、歌や演奏の現場では手抜きが出来ない体質というか、基本的に「好き」なんでしょうねぇ〜〜、本当に憎めません。
ですから最初は幾分のギクシャク感が滲んでいたような演奏もプログラムが進んでいくにつれ、ユルさとタイトなグルーヴが絶妙に化学変化(?)するような、これぞっ! ザ・バンドだけが醸し出せる最高のノリに繋がっているのは言わずもがな、「Forbidden Fruit」「This Wheel's on Fire」「The Night They Drove Old Dixie Down」と続く中盤三連発は、結果的にハイライトかもしれません。
ガース・ハドソンの緊張と緩和が見事なサポートも存在感が強く、主役となっている「The Genetic Method」から「Chest Fever」のイントロ部分で披露するキーボードプレイは、生半可なプログレバンドなんか、お呼びじゃ〜ないっ!
うむ、誰一人欠けても成立しえないザ・バンドの音楽を更に個性的にしているのが、ガース・ハドソンなんでしょうかねぇ〜〜。
あぁ〜、この「Chest Fever」の強引なノリ!
そして既にして大団円の如き「Up On Cripple Creek」の高揚感!!
と、ここまで書いてきても、なかなか触れられないのがロビー・ロバートソンのあれこれ……。
もちろん随所で炸裂させる「カキクケコギター」はウルトラな必殺技であり、グッと惹きつけられてしまうですが、前述「ラストワルツ」以降に開陳された様々な裏事情や内部の人間関係を知ってしまうと、何故かこうした素晴らしい音源の発売そのものに守銭奴的な思惑が滲んでいる感をサイケおやじは打ち消せません。
なにしろ近年のザ・バンドのアーカイヴ商法をリードしているのは、リチャードもリックも、そしてリヴォンも天国へ召されて後に活性化した事を思えば、やはりロビー・ロバートソンの独壇場でしょうから……。
しかし同時に、メンバーが今も過去に拘っている状況が続いていたとしたら、それは悲喜こもごも、全く複雑な心境に追い込まれてしまいますが、そんな気分ではあっても、再びこのCDをド頭から鳴らしてみると、リアルタイムのザ・バンドが如何に最高のロックをやってくれていたかに感動ですよ♪♪〜♪
それはオーラスの「The W.S.Walcott Medicine Show」の屈託の無さに収斂するという、こうした「荒っぽい」ザ・バンドが、なかなかサイケおやじを浮かれさせてくれた事実に感謝♪♪〜♪
正直、以前に出た映像込みの無駄に豪華なアンソロジーや「ロック・オブ・エイジス」の水増し4枚組よりも、これが好きになったほどです。
ズバリ! デカい音で鳴らすほど、良しっ!!
ということで以上、不遜な事も書いてしまいましたが、度々触れた「ラストワルツ」との関連では、公式&未発表の映像と音源を纏めたブートDVD「The Last Waltz Complete With Naked Sound」をご覧頂ければ尚更に、このCDを楽しめるように思います。
そして誰が何と言おうとも、さらにサイケおやじの心持ちがブレまくったとしても、これからもザ・バンドの音源が蔵出しされる事を切望しているのでした。
■Miami Pop Festival / The Jimi Hendrix Experience (Sony Legacy)
01 Introduction
02 Hey Joe
03 Foxey Lady
04 Tax Free
05 Fire
06 Hear My Train A Comin'
07 I Don't Live Today
08 Red House
09 Purple Haze
※Bonus Performances
10 Fire (Afternoon Show)
11 Foxey Lady (Afternoon Show)
既に昨年の発売だったのに、ど〜いうわけか、世間一般での盛り上がりがイマイチだったのは、ジミヘンがすっかり過去の人と言うよりも、公式発掘プロジェクトをウリにしながらも、供用された音源に新味が足りなかった所為でしょうか……。
実際、この1968年5月18日のマイアミ・ポップ・フェスのライブステージは、これまで夥しいブートのネタ元になっていましたし、内容の充実度も賛否両論というのが、これまでの経緯でありました。
しかし今回はきっちり、ジミヘン所縁のエディ・クレーマーが責任者ということで、これを書いているサイケおやじ本人からして、ブツを早々にゲットしていながら、今頃になって戯言云々という態度は申し開き出来るものではありません。
特筆すべきは、やっぱりリマスターの秀逸さで、それは冒頭のバンド紹介MCに続くチューニングパートからエッジの鋭い音作りに驚嘆! 中でもバスドラの音圧の高さには身震いしてしまったですよっ!
もちろん音源の基本はモノラルなんですが、付属解説書によれば、リアルタイムの現場録音もエディ・クレーマーであった事はプラスのベクトルと思います。
それは皆様ご存じのとおり、1968年のジミヘンは欧州〜アメリカの巡業に明け暮れながら、何故かこれまで、この時期のライブレコーディングが公式にはなかなか発表されず、なんとか10月のウインターランド公演だけが認められるわけですが、実はレコード会社は相当に録っていたという推察は易いんじゃ〜ないでしょうか?
どうやらエディ・クレーマーの意向(?)としては今後、こうしたライブ音源を順次(?)出していくらしいですよ。
で、肝心の中身については、ジミヘン(vo,g) 以下、ノエル・レディング(b,vo) にミッチ・ミッチェル(ds) という初代エクスペリエンスですから正直、この頃には幾分のマンネリ感も滲んでいる気がしないでもありませんし、演奏そのものにも、手慣れた雰囲気がある事は否定出来ないと思います。
しかし思わせぶりなイントロがニクイばかりの「Hey Joe」、ドシャメシャな「Foxey Lady」の破滅型ロックフィーリングは、やっぱりカッコE〜〜!
そして「Tax Free」の混濁したハードロックジャズな世界観(?)は唯一無二でしょう。後半のジャムパートの凄みは本当に強烈ですよっ!
また、突っ込みまくりの「Fire」におけるギターにしても、そこに典型的な「らしさ」爆発のジミヘン節が楽しめるんですから、たまりません♪♪〜♪
その意味で共演者の頑張りも聴き逃せず、「Hear My Train A Comin'」でのミッチ・ミッチェルのドラミングは、ダレそうになる演奏を見事にドライブさせる原動力だと思いますし、ステージ全篇の随所で意外とプリティなコーラスを披露(?)してしまうノエル・レディングも憎めませんよ。
ですから後半に入っての「I Don't Live Today」に感じられる幾分の倦怠を逆手に活かしたような「Red House」が、これぞっ! スローなブルースロックのお手本に仕上がっているのは結果オーライ以上の嬉しさです。
ただし、不遜にも、そこには既に述べたような「手慣れた雰囲気」が漂うのは……。
それは「Purple Haze」にも同様で、ルーズなグルーヴという感じ方も無いではありませんが、ジミヘンにしてはイマイチどころかイマニぐらい、冴えていないんじゃ〜ないでしょうか?
もちろん当時も今も、他のミュージシャンにこれほどの演奏が出来るかといえば、それは否であって、だからこそ常にジミヘンにはエポックメイキングな何かを期待している裏返しの愛情と、言い訳を弄したくなるのですが……。
するとボーナストラックとしてのセカンドショウからの音源が相当に素晴らしく、熱く暴走した「Fire」と捨て鉢な感じの「Foxey Lady」を聴いてしまえば、なんとかこっちも完全版を強く望みたくなりました。
極言すれば、このオマケがあれば、本篇最後の尻つぼみ(?)は帳消しと思います。
ということで、まだまだジミヘンには凄い「お宝」が、どっさりある事は言わずもがな、しかし、あれやこれやの注文や切望を書くことは今回、あえて控えさせていただきとうございます。
そして虚心坦懐に、このマイアミ音源の公式盤CDを謹聴する姿勢こそが、不遜な気持ちを抱いてしまったサイケおやじのとるべき態度と思うばかりなのでした。
■スペインへ行きたい c/w 希望という名のホテル / 田中美佐子 (キングレコード)
最近はすっかり落ち着いてしまいましたが、昭和50年代後半の田中美佐子は新進女優としての輝きが眩しいほどでした。
中でも一躍ブレイクした昭和57(1982)年の初主演映画「ダイアモンドは傷つかない」における演技力は、藤田敏八監督が十八番の無気力系の演出に埋もれない独特の存在感が自然体を滲ませているようで、リアルタイムで鑑賞したサイケおやじは彼女に大いに期待したのですが、ご存じのとおり、「脱ぐ演技」に拒絶反応があった事から、以降は安定型の道を歩んだのは、些か残念という気持ちです。
しかし、この時期には当時の人気女優ならではという歌手デビューも果たし、掲載のシングル盤を昭和58(1983)年に発売してくれた事は嬉しいプレゼント♪♪〜♪
結果的にヒットしたとは言い難いんですが、とにかく作詞:阿久悠&作曲:奥慶一、そして編曲:萩田光雄が王道歌謡ポップスを狙ったA面曲「スペインへ行きたい」は、彼女のアルトボイスが見事に馴染んだ仕上がりですよ♪♪〜♪
う〜ん、なんというか、所謂リゾート物なんですが、海外ロケされた映画の劇中場面のようでもあり、都市の中の倦怠した休日のような感じもしてしまう、これがなかなか不思議な印象の名曲名唱と思います。
そして決して上手くはない節回しが逆に新鮮というのは、贔屓の引き倒しではないつもりですよ。
と書いてしまったのも、実は作詞:阿久&作曲:芳野藤丸が提供したB面収録の「希望という名のホテル」がA面曲「スペインへ行きたい」よりも味わい深い仕上がりで、本来は演歌に近づいていたであろう曲調を奥慶一がジャズっぽくアレンジしたという推測も可能な、その「しぶとさ」が良い感じ♪♪〜♪
もちろんこれを上手に歌ってしまえば、それは玄人のつまらなさ……? と言うのは失礼とは思いますが、サイケおやじとしては、田中美佐子の素人っぽさにグッと惹きつけられてしまいます♪♪〜♪
という、これまた残念ながら、サイケおやじは彼女のレコードは、これっきりしか持っておらず、リアルタイムではLPも発売されていながら、買い逃して幾年月……。
今となっては完全なる後悔モードの真っ只中なんで、ぜひともCD復刻をお願いしとうございます。
うむ、最近は叶わぬ願い事ばっかしで、本日も失礼致しました。
■Ms. / 南沙織 (CBSソニー)
ある事情から昔のメモを読み返していたら、昭和53(1978)年の今日、つまり9月8日、若き日のサイケおやじは掲載した南沙織のシングル盤を買っていました。
もちろん皆様ご存じのとおり、これは同年10月に歌手を引退した彼女の実質的な最後の新曲ですから、デビュー期から作品を提供していた有馬三恵子の綴った歌詞には集大成的な意味合いを強く感じてしまいますが、同じ立場の筒美京平の作編曲には、それほど感傷的なフィーリングは滲んでいない雰囲気で、むしろ既に新種の歌謡曲になっていたニューミュージックが色濃い仕上がりになっているのは、失礼ながら些か煮え切りません。
以下はあくまでもサイケおやじの独断と偏見による当て推量になりますが、この「Ms.」は所謂「詞先」だったような気がするんですねぇ……。
とすれば、流石の筒美京平の書いたメロディラインにイマイチ、フックが感じられないのも納得するしかないんですが、逆に考えれば、あえて起承転結をはっきり着けないところに過剰な感傷を避け、余韻を漂わせつつ、南沙織という素晴らしいスタアシンガーがフェードアウトしていくという演出を狙ったのでしょうか?
いやいや、そんな意見はやっぱり不遜と反省すべきと自戒しています。
なにしろ彼女の意想外とも思えるソウルフルな節回しを彩る女性コーラスは爽やかな印象ですし、これまた如何にものバック演奏がライトタッチのAOR風味とあっては、ここは素直に彼女を祝福するのがファンの務めであったはずです。
恥ずかしながら、今頃になって、その胸キュン性感度の強さに泣きそうになっている自分に気がつくサイケおやじは……。
ですから、う〜ん、今日は書くのを、このあたりでフェードアウトさせていただきます。
失礼致しました。
申し訳ありません……。
ちょっとゴタゴタで本日の1枚は休載させていただきます。
それとテニスの錦織、完敗でしたねぇ……。
世の中、甘くありませんが、「次」という期待が残りました。
サイケおやじも乗り切りのパワーが欲しいです(自嘲)。
■フルーツガム・カンパニーのテーマ c/w Bubble Gum World
/ 1910 Fruitgum Company (Budda / 日本コロムビア)
今週から仕事がらみで所謂ファミリーアニメを幾つか鑑賞しているんですが、その中のひとつ「サザエさん」のラストテーマ「サザエさん一家」が本日掲載のシングル盤B面曲「Bubble Gum World」のパクリである事は、今や有名な事実でしょう。
しかし演じている1910フルーツガム・カンパニーが現役として、この日本独自のシングル盤を出した昭和46(1971)年春はもちろん、同曲が実はそれ以前の同グループデビュー期だった1968年に作られた1stアルバムにひっそりと収録されていた事からして、「サザエさん一家」を書いた筒美京平の着眼の見事さ、そしてあえてアニメ「サザエさん」の人気が定着していた時期に添え物ながらもシングルカットしたレコード会社の稚気には、思わずニンマリ♪♪〜♪
つまり、当時は殊更我が国では、1910フルーツガム・カンパニーは決してガチガチのロックファンを納得させるような存在では無く、普通のポップスグループとして、あくまでもラジオ向けの耳に心地良く、サッと覚えて、それっきりみたいな扱いでしたからねぇ〜〜。
一応は国内盤も出ていた彼等のLPなんて、経済的な問題も含めて、しっかり聴いていた洋楽ファンは特に十代では、どれほど?
というような真相があったと思うんですよ、実際。
もちろんサイケおやじが、「サザエさん一家」≒「Bubble Gum World」という近似値に気がついたのは三十代になって、音楽産業的な視点からバブルガムサウンドに目覚めて以降、1910フルーツガム・カンパニーのレコードを本気で集め出してからです。
ちなみにテレビアニメ「サザエさん」の放映開始が昭和44(1969)年秋ですから、当初から使われていたエンディングテーマの「サザエさん一家」が作られたのは、その準備期間であったと思われます。
ご存じのとおり、1910フルーツガム・カンパニーはジェリー・カセネッツとジェフ・カッツという優れた2人のプロデューサーが黒幕となった楽曲優先の実体の無いグループであり、それゆえに練り上げられた売れる戦略は一般的な洋楽リスナーには軽く扱われようとも、業界は実績重視ですから、その分野の英才である筒美京平の思惑を侮る事は出来ないでしょう。
むしろリアルタイムの日本では、ほとんど無視されていた1910フルーツガム・カンパニーのアルバムを聴き、その要点を研究していたであろう筒美京平の感覚の鋭さに敬服するのみです。
ということで、最後になりましたが、実はA面曲「フルーツガム・カンパニーのテーマ / 1910 Cotton Candy Castle」も、本国アメリカでは既に1969年に出していたLP「インデアン・ギヴァー」に収録されていた、これがなかなかのお気楽ソング♪♪〜♪
それがど〜して、1971年の日本でシングル盤になったのかは、例によってサイケおやじの独断と偏見による当て推量ではありますが、同年夏の初来日決定による相互プロモーションだったのかもしれません。
そして今や伝説となったピンク・フロイドの箱根における野外公演の前座として、とことん物分かりの良いサウンドが持ち味の彼等が、どんなライブギグを披露したのかっ!?
既に述べたとおり、実体の無いグループとしてスタートした1910フルーツガム・カンパニーは、レコードを発売する度に表立ったメンバーが4〜6人組に変動していましたし、1969年に入ると、例えば「The Train」のようなニューロック的なサウンドを入れたヒット曲も出していましたからねぇ〜♪
タイムマシンは全ての人類が望むものだとしたら、サイケおやじは行ってみたい時空のベスト50には、必ずや選んでしまうでしょう。
もちろんそこで「Bubble Gum World」をやっていたら!?
そう思うだけで、ニンマリしてしまうのでした。
■想い出のサマー・ブリーズ / Seals & Crofts (Warner Bros. / ワーナーパイオニア)
1970年代に活躍した男性デュオの中でも、そのルックスと放ったヒット曲のギャップの大きさを鑑みれば、本日の主役たるシールズ&クロフツは最右翼かもしれません。
例えば彼等が1972年に出したメガヒットにして出世作の「想い出のサマー・ブリーズ / Summer Breeze」は印象的な演奏パートのキメのフレーズとジェントルなメロディゆえに、基本的に英語の歌詞が通用しない我が国でも晩秋から翌年始めにかけて、主にラジオを中心に流行りまくった洋楽のひとつなんですが、この「ラジオを中心に」というところが、大きなミソでしよう。
それは掲載した日本盤シングルのピクチャースリーヴからも明らかなように、失礼ながらシールズ&クロフツのルックスには当該ヒット曲を印象づけたセンチメンタルな爽やかなとは裏腹の胡散臭さが強く滲んでいますからねぇ……。
実際、サイケおやじは「想い出のサマー・ブリーズ / Summer Breeze」を聴いて、一発で気に入っていただけに、初めて洋楽雑誌でシールズ&クロフツのグラビアカットを見た時には、なんじゃ〜、こりゃ〜、という松田優作状態でしたよ。
まあ、尤もジーパン役の松田優作が「太陽にほえろ」の劇中で殉職するのは、さらに後年だったんですが、それはそれとしてシールズ&クロフツのようなヒッピー系のミュージシャンが、「想い出のサマー・ブリーズ / Summer Breeze」のようなソフト&メロウなポップスを歌っていたというインパクトは絶大でありました。
そこでサイケおやじは例によって件の洋楽雑誌に載っていた彼等のプロフィールから、ジム・シールズとダッシュ・クロフツはセッションミュージシャンとして活動しながら、様々なバンドや自分達の名義でレコードを何枚も出していた事を知り、中でも1958年に「Tequila」の特大ヒットを放ったチャンプスのメンバーだったキャリアは有名なんですが、これは推察するに、本来はスタジオで作られた実体の無いグループであったチャンプスの巡業用バンドにジム・シールズはテナー&アルトサックス、ダッシュ・クロフツはドラムスで参加していたという定説に賛成です。
ちなみにチャンプスには似た様な立場のパートタイマー(?)的なミュージャンが大勢去来していたそうで、中にはグレン・キャンベル(g) やルイ・シェルトン(g) 等々の達人も!?
そう思えば、この「想い出のサマー・ブリーズ / Summer Breeze」を含む当時の諸作がルイ・シェルトンのプロデュースである事にも納得出来るわけでして、しかも曲そのものがシールズ&クロフツの自作自演とあっては、そういう下積みもあながち無駄ではなかったのでしょう。
もちろん彼等は所謂マルチプレイヤーとしてレコーディングでもライブの現場でも、各々がギターやキーボードの他にマンドリンやバイオリン、ベースや打楽器を操り、しかも上手いんですよねぇ〜〜♪
それは残されたライブ音源や映像でも確認出きるんですが、何故か他にもヒットシングル&アルバムを相当に残したシールズ&クロフツの歌や演奏は現在、復刻状況がイマイチ芳しく無いわけで……。
実は本日掲載した昭和49(1974)年発売の私有シングル盤には、中川五郎の訳詩による「想い出のサマー・ブリーズ / Summer Breeze」の日本語バージョンが入っているのに、今では「無かった事」にされているのが、悲しいですよ。
また、そうなっているのはシールズ&クロフツが1980年代に入って、ほとんど表立った芸能活動をやっていない所為もあるんじゃ〜ないでしょうか。
どうやらその時代以降は若い頃から信仰している「バハーイー教」に深く帰依し、聖なる生活をしていると言われる彼等にすれば、過去は過去しておきたいのかもしれませんが、広くポップスファンを惹きつけていたシールズ&クロフツは、そっとしておくには勿体ない存在と思うばかりです。
ということで、これからの季節にはジャストミートする「想い出のサマー・ブリーズ / Summer Breeze」には、かなりのカバーバージョンがあるようで、例えばサイケおやじはメロウソウル仕様のアイズリーズ版が大好き♪♪〜♪
また、同時期に我が国だけの大ヒットになっていた、同趣向の名曲「シーモンの涙 / Simone」を演じたイングランド・ダンとジョン・フォード・コリーのイングラド・ダンの兄がジム・シールズという逸話も有名というか、やっぱり兄弟なればこその感性は認めざるをえません。
この「想い出のサマー・ブリーズ / Summer Breeze」と「シーモンの涙 / Simone」、そして出来ればヴィグラスとオズボーンの「秋はひとりぼっち / Forever Autumn」を続けて聴くという必殺の自己満足も、秋には大いにオススメしたいところです。
■剣の舞 / 尾藤イサオ&ドーン (東芝)
何をやっても憎めない人の中でも尾藤イサオは別格!
と書いてしまえば、各方面からのお叱りは覚悟しなければならないわけでして、何故ならば尾藤イサオの芸風というか、芸能の力量は唯一無二ですからねぇ〜〜♪
それは昭和三十年代の和製ロカビリーブームから長いキャリアを積み重ねた今日においても現役のバリバリで活躍している、その存在感の強さに感服するサイケおやじの畏敬の念とご理解願いたいところであり、とにかく尾藤イサオにハズレやスカはありえません。
例えば昭和54(1979)年に発売された本日掲載のシングル盤A面曲「剣の舞」はご存じ、旧ソ連の作曲家にして有能な指揮者でもあったアラム・ハチャトゥリアンの代表曲の日本語バージョンというだけでも血が騒ぐわけですが、その真相は作詞:なかにし礼&曲構成:いずみたく、そして前田憲男のアレンジが施された、これが見事な高速ディスコ歌謡に仕立て上げられているのですから、たまりません♪♪〜♪
もちろんあらためての説明は不要でしょうが、ここであえて名義を「尾藤イサオ&ドーン」にしてあるのは、サンタ・エスメラルダという欧州の企画系グループが1977年にディスコアレンジで作った「悲しき願い」の世界的なメガヒットがあればこそ、件の名曲の我が国代表選手であった尾藤イサオが負けじと(?)サンタ・エスメラルダ仕様の2人の女性ダンサー兼サイドコーラスシンガーを率いてのリメイクレコーディングは言わずもがな、新曲扱いのシングル盤も出していた中のひとつが、この「剣の舞」というわけですが、「ドーン」という名義にしても、例の「幸せの黄色いリボン」等々のポップスヒットでお馴染のトニー・オーランド&ドーンの如き、男性リードボーカリストに2人の女性サイドシンガーという吉例を踏襲した?
……等々の推察も易いところでしょう。
そして披露されたのは尾藤イサオならではの弾けた歌謡曲!
なにしろ原曲の高速テンポを覆さないアレンジに全く怯むことの無い猛烈なノリと節回しは、そのブレスというか、ウルトラな息継ぎ共々に圧巻ですよっ!
これは実際に聴いていただければ、皆様にも絶対に納得の世界だと思うんですが、もうひとつ、特筆して置きたいのが、この「剣の舞」を歌っていた時の尾藤イサオのパフォーマンスで、それは驚くなかれっ!
ご推察どおりの激しいアクションは、サーベルを振り回してのタイガー・ジェット・シン状態だったんですよねぇ〜〜〜〜♪
これをリアルタイムのテレビ歌番組で見せられたサイケおやじは心底、シビレまくってしまったですよ。
あぁ〜、尾藤イサオ、恐るべしっ!!!
ちなみに「尾藤イサオ&ドーン」名義のシングル曲は、この他に前述の「悲しき願い」や「涙のギター」が作られているんですが、気になるのは「ドーン」と名乗る女性二人組で、メンバーのひとりは後に演歌や歌謡曲のレコードを出した沢よう子だと思うんですが、もうひとりは度々の入れ替わりがあったような……。
そのあたりの真相も含めて、音源のコンプリートが叶うのであれば、当時の映像も蔵出しして欲しいものです。
ということで、こういうハチャメチャなエネルギーを保ち続けている尾藤イサオは、まさに偉人でしょう。
残念ながら最近の生ライブには接していませんが、今でもステージで「剣の舞」を歌っていて欲しいなぁ〜〜〜。
本気で思っているのでした。
移動中なので、本日の1枚の休載、ご理解ください。
コメントへのレスも遅れておりますが、ちゃんと読ませていただいています。
こんな事ばっかり書いて、申し訳ございません(__)
■教訓1 c/w ゼニの効用力について / 加川良 (URC)
サイケおやじが高校生の頃は歌謡フォークが全盛だったので、とりあえずも校内同好会で矢鱈にエレキのバカ大将をやろうとしていたトホホな話は拙ブログでは何度も書いてきましたが、中でも一番に苦しめられた(?)のは、やはり仲間内の意見の相違でありました。
つまり平たく言えば、一応はロックバンド形態で演じる選曲の問題で、リーダーシップを握っていた上級生ボーカルの先輩は日本語を歌いたがり、対して実質的に音楽面をリードしていたベースの先輩は大反対!
ということは、ロックはあくまでも英語!
そこに拘るのが当時は主流派と思い込まれていましたから、サイケおやじはそっちに従う立場だったんですが、流石に昭和47(1972)年の秋ともなれば、日本語のロックも容認せざるを得ない状況になっていたのは、やはり歴史というものでしょうか。
しかしブームとはいえ、それがロックを標榜していたとしても、日本語を歌っていれば「フォーク」という扱いだったのが当時の常識であり、今や「日本語のロック」の先駆者として偉大な評価のはっいえんどが堂々の「フォークグループ」という括りになっていた事は消し去れるものではありません。
ですから、例え高校生のバンドであっても、ロック志向があればこそ、少しでも硬派なものをやらなければ軟弱のレッテルは免れない!?
そういう過剰な自意識が少なくともサイケおやじの周辺にあったんですよ。
で、喧々諤々の論争(?)を経て選ばれたのが、前年に発売された本日掲載のシングル盤収録の2曲でありましたが、ご存じのとおり、それを自作自演した加川良は所謂アングラフォークの人気者として、同系高田渡の影響下にある才人だったんですが、吹き込まれたレコードは決してアコースティックギターの弾き語りによる私小説な歌ばっかりではなく、きっちりバンド形式のバックがついたハード&シニカルな表現は、なかなかロックの本質も滲ませていたと思いますし、だからこそサイケおやじも同好会のバンドでやる気になったわけです。
なにしろB面曲「ゼニの効用力について」は、はっぴいえんどがバックを務めた完全なロックであり、突進力の効いたビート感や鈴木茂による鋭いギターワークは最高にエキサイティング!
加川良のボーカルもエグ味と自嘲のバランスが素晴らしい限りですから、前ノリ気味に気持ち良く(?)歌うボーカルの先輩に負けじと、今これを書いているサイケおやじも必死で件のギターフレーズを練習した若き日々が蘇ってまいります。
そして一方、「教訓1」はフィドルやバンジョーも入った、如何にも当時の流行最先端だったカントリーロック仕様の名曲で、
青くなって しりごみなさい にげなさい かくれなさい
と教えてくれる加川良の歌詞には、人生の真実のひとつがあるのは本当だったなぁ〜。
すっかり初老の域に足を踏み入れてしまったサイケおやじは今、シミジミと感慨に浸っているわけですが、その頃には楽器を揃えられずというよりも、仮に揃えたとしても扱えなった所為もあり、単調なフォークロックでしか演じられなかったのは残念……。
しかし、それでも自分達は各々が満足していたんですよ♪♪〜♪
ところが学校側の顧問の教師からは、
君等はもっと前向きな歌をやれんのかね
云々諸々を指導(?)されるというテイタラク……。
先生、今はそんな時代じゃ〜、ないですよぉぉぉ〜
と、バンド組一同は強く思っていたのでした。
うむ、明日は敬老の日かぁ……。
■Rainbow Seeker / Joe Sample (abc)
A-1 Rainbow Seeker
A-2 In All My Wildest Dreams
A-3 There Are Many Stops Along The Way
A-4 Meoldies Of Love
B-1 Fly With Wings Of Love
B-2 As Long As It Lasts
B-3 Islands In The Rain
B-4 Together We'll Find A Way
ソウルジャズ〜フュージョンをやらせては当代の人気バンドだったクルセイダーズの立役者、ジョー・サンプルの訃報に接しました。
もちろん故人はモダンジャズの正当に位置するキーボード奏者であり、モード手法も駆使するアドリブプレイでストロングスタイルを好むジャズ者をも納得させるに十分な実力は、きっちりそっち方面のアルバムを吹き込んでいる事にも明らかです。
しかし、大方のファンにとってのジョー・サンプルのソロアルバムといえば、1978年に発売された本日掲載のメガヒットLP「レインボウ・シーカー / 虹の楽園」に代表される「ひとりクルセイダース」の如き、泣きメロとソウルフルなフィーリングを全面開放したものだと思います。
なにしろ全篇、日本人好みというか、とにかく琴線に触れまくりのメロディがテーマ〜アドリブ、オカズやメシの分け隔てなく溢れてますからねぇ〜〜♪
それはA面ド頭のアルバムタイトル曲「Rainbow Seeker」からして、重いビートと予想外とも言える繊細なアレンジに彩られた刹那の曲メロが流れた瞬間にツカミはOKでしょう♪♪〜♪
ジョー・サンプルのピアノの響きやアドリブフレーズの上手さに加え、サポートメンバーの演奏もアルバム全てにおいて素晴らしく、そこにはクルセイダーズの盟友たるスティックス・フーパー(ds,per)、当時のレギュラー助っ人だったバリー・ロジャース(g)、ポップス・ポップウェル(b) の他にもスペシャルなゲストとしてクレジットされたディーン・パークス(g)、レイ・パーカー(g)、バリー・フィナティー(g)、デヴィッド・T・ウォーカー(g)、ガーネット・ブラウン(tp)、アーニー・ワッツ(sax)、ウィリアム・グリーン(fl)、ロバート・ブライアント(tp)、ポーリーノ・ダ・コスタ(per) 等々の名手が手抜き無しですよ。
中でもミディアムスローな哀愁曲「In All My Wildest Dreams」で堪能出来るデヴィッド・T・ウォーカーが十八番のジェントルなプレイは、ジョー・サンプルのエレピにジャストミートの快演ですし、ホーンセクションが弾けるアップテンポの「There Are Many Stops Along The Way」でモッサリ型チョッパーを炸裂させるポップス・ポップウェルと幾分のモタモタ感が逆に心地良いスティックス・フーパーのドラミング、そしてしぶといバリー・ロジャースのギターワークは、完全にリアルタイムのクルセイダーズとして爆発的なウケましたですねぇ〜〜〜♪
あぁ〜、当時を完全体験された皆様には説明不要かと思いますが、フュージョンというジャンルがジャズ喫茶に集うようなイノセントなファンにも認知されたのは、おそらくこの「レインボウ・シーカー」があってこそかもしれません。
実際、堂々と鳴らしていた店が多かったのは偽りの無い現実でしたし、普段はジャズを聞かない、あるいはジャズを未体験だった音楽ファンをそこに惹きつけた功績(?)さえも無視出来るものではないと思います。
それは美メロが満載のセンチメンタルな「Meoldies Of Love」や調子良くて楽し過ぎる「As Long As It Lasts」、ちょっぴりオトボケな「Islands In The Rain」の親しみ易さにも顕著なんですが、その反面、ちゃ〜んとジャズ本来のガチンコ魂を滲ませているのがB面初っ端の「Fly With Wings Of Love」で、実はご存じのとおり、この曲タイトルからしてマッコイ・タイナーがフュージョンに接近して放った大ヒットLP「フライ・ウィズ・ザ・ウィンド」を意識したという推察は言わずもがな、イントロのアレンジが、これまたモロパクリなんですから、これをパロディと解釈するのは易いんですが……。
ミディアムテンポでの以降の展開は全く奥深い、ジョー・サンプルならではの「ジャズの世界」で、プロ・アマを問わず、夥しい追従者や信奉者を出現させたのは、その個性ゆえの事でしょう。
ですからオーラスに置かれた「Together We'll Find A Way」でじっくりと聴かせてくれる正統派ピアノの世界も侮れません。
そりゃ〜、確かにピアニストとしての評価はマチマチでしょう。
しかしメリハリの効いたアコースティックピアノでのタッチは大いに魅力ですし、エレピにおけるジェントル&メロウな世界も個人的に大好き♪♪〜♪
似た様な事をやっていたボブ・ジェームスよりも、ソウル性感度の高さが実に良かったんですねぇ〜〜♪
ということで、この大ヒット盤で広く認知されたジョー・サンプルは同時並行してクルセイダーズの人気を支える活躍があり、その源のひとつが、このアルバムの全てを作曲した才能だったとすれば、以降に作られていく自己名義の作品が所謂「二番煎じ」という誹りも難なくクリア出来ていたわけです。
特に翌年発売された「カーメル」は正統派の続篇として、「レインボウ・シーカー」にシビレたファンならば必須アイテム♪♪〜♪
告白すればサイケおやじは、むしろそれを愛聴し、収録の「A Rainy Day In Monterey」はエレピによるジョー・サンプル得意の「節」が満喫出来る大名演ですから、ぜひとも併せてお楽しみ下さいませ。
そして故人の遺徳を偲びつつ、本日は失礼させていただきます。
■モスクワの灯 / The Spotnicks (ポリドール)
実は半年前ほどから仕事の都合でロシア語を勉強しているのですが、これが難しさの極みで、ほとんど泣きが入っているサイケおやじです……。
あぁ……、やっぱり若いうちに習っておかなきゃ〜、ダメなのか……。
という嘆き節を抱きつつ、それでも基本のヒアリングは続けている反動からか、本日は無性にロシア系インスト、つまり歌抜きエレキのロシア民謡が恋しくなって、掲載シングル盤を出してしまいました。
それはご存じ、北欧系エレキバンドではダントツ人気のスプートニクスが演じた、これが驚くなかれ!?
和製ロシア民謡のエレキインスト♪♪〜♪
どうやら昭和41(1966)年の来日巡業の合間に録音した置土産らしく、中島安敏の書いたメロディは大ヒット曲「霧のカレリア」を巧みに活かした最高の二番煎じながら、それゆえに刹那の哀愁が胸に滲みるんですねぇ〜〜♪
う〜ん、秋には、こういうサウンドが似合いますねぇ〜〜、本当に♪♪〜♪
ということで、時には凹みそうになるロシア語勉学の意欲を奮い立たせるのが、いやはやなんともの哀愁エレキインストでは正直、お恥ずかしい……。
しかし、そうでもないと、既にロシア語を聞くのも拒絶反応気味のサイケおやじにとっては、刺激的ドリンク剤のような効果があるのは確かみたいですよ。
うむ、道は険しいです。
■若者よ愛を忘れるな c/w 理由なき反抗 / ザ・テンプターズ (フィリップス)
掲載したのは昭和45(1970)年6月に発売されたテンプターズの最後のシングル盤なんですが、これがほとんど売れていなかった所為でしょうか、もちろんリアルタイムで買えなかったサイケおやじは後々まで入手するのに苦労を重ねた1枚です。
ところが幸運にも、先日仕事で訪れた某地方都市の中古屋で邂逅、即ゲット出来たのは、諦めなければ願いは叶う!?
なぁ〜んていう独善的な思い込みにちがいありません。
それを心しておかなければバチアタリは必至でしょうし、周囲の冷たい視線や顰蹙から身を守る術もないというか……。
そして、そんなこんなの苦しい弁明を用意している自らの姑息さに楔を打ち込んでくるのが、この収録A面曲「若者よ愛を忘れるな」という、作詞作曲:松崎由治による畢生の歌謡バラード♪♪〜♪
しかも川口誠のアレンジを得てリードを歌うのも松崎由治なんですから、必然的にイカシたジャケ写も本人メインの熱き想いが滾っているわけですが、ところが当時も今も、中間部にアダプトされた
うさぎ追〜いし かの山ぁ〜
小鮒釣〜りし かの川ぁ〜
という、日本人なら誰もが知っているに違いないスタンダードな唱歌「故郷」の一節は、あまりにもロックから遊離し過ぎているわけで、そのあたりに歌謡曲をやっても独特の不良っぽさが持ち味であったテンプターズの新機軸が、と書けば納得も出来るんでしょうが、これを発売当時に聴いてしまったサイケおやじは、完全に???の気分でしたねぇ……。
だって、それを除いては、些かの説教臭さが滲む歌詞が気になろうとも、なかなかの仕上がりだと思うんですが、結局ヒットしたとは言い難いのは、そのあたりに要因があるのでしょう。
しかし松崎由治のソングライターとしての力量は決して侮れません。
同じく作詞作曲を担当したB面収録の「理由なき反抗」では、いよいよ萩原健一=ショーケンが歌うミディアムスローのニューロック歌謡とでも申しましょうか、川口真のゴージャスなオーケストラアレンジもイヤミ無く、バンド演奏パートのへヴィなフィーリングは、もっともっと聴いていたいと思わざるをえません。
ご存じのとおり、このシングル盤を出した頃のテンプターズはGSブームが去った事もあり、人気はガタ落ちでしたし、ショーケンが実質的なソロレコーディングだった「ザ・テンプターズ・イン・メンフィス」というLPを出した所為もあり、解散は時間の問題という雰囲気でしたねぇ……。
そして解散以降のショーケンと大口広司はGSオールスタアズとも言うべきPYGの結成に参加して注目を集め続けたのとは逆に、リーダーとして、またギタリストとして、さらにはソングライターとしての才能に恵まれていた松崎由治が2年を経ずして芸能界から身を引いてしまったのは、本当に残念という気持ちです。
あぁ、もしも松崎由治のソロアルバムが作られていたならば、ぜひとも聴いてみたい!
そんなふうにサイケおやじは願い続けて幾年月、こうしてそれに近い企画の「若者よ愛を忘れるな」が残され、リアルタイムではそれほど意識していなかった松崎由治の世界に触れることが出来るのは僥倖と思うばかり♪♪〜♪
再評価を強く望んでいるのでした。
■夢の旅人 / Wings (Capitol / 東芝)
イギリスではスコットランドの独立に関する住民投票で喧々囂々、賛成反対の是非は当地の住民にしか投票権が無いらしいので、必死のイギリスの首相はもちろん、エリザベス女王までもが実質的な反対の意向を示される等々、そういう騒ぎが世界中で報道されるのは、それだけ影響力が大きいという事でしょう。
個人的にはスコットランドの独立はイングランドとの共倒れが避けえないと思うところなんですが、それが百年後か、それともさらに遠い未来なのかは知らずとも、自ずと結果は見えているような気がします。
さて、そこでスコットランドと言えば、この曲が極みの大ヒットという事で、ご存じのポール・マッカートニーとウィングスが1977年に出したシングル曲「夢の旅人 / Mull Of Kintyre」を出してきました。
もちろんスコットランドと言ったって、実際はビートルズが登場するまでは、それがどんなところかなんて事は遠く日本に生活する我々には縁の薄い地域だったはずですし、およその雰囲気としては所謂牧歌的な風景や民俗がイメージされるというのも、妥当なところかと思います。
しかし一番に強く感性を刺激されたのは、ビートルズの中でも特にポール・マッカートニーが作るメロディラインに顕著な哀愁というか、その不思議な胸キュンなフィーリングがスコットランドの民謡あたりをルーツにしているという真相(?)に辿り着いてみれば、そんなこんなの歌や演奏をこの機会(?)に聴きたくなるのは不謹慎でしょうか。
とにかくスローなワルツテンポで如何にも詩情豊かなメロディライン、そのフォーク調の演奏には途中からバグパイプも加わる等々のサウンド作りのベタなフィーリングは、ポール・マッカートニーがやっているという免罪符(?)がある限り、決してイヤミではありません。
また、楽曲クレジットを確認すれば、ウィングスの縁の下の力持ちだったデニー・レインの名前が共作者としてある以上、ある意味での味付けの濃さも納得するしか??
と書いたのも、イギリスでは空前の大ヒットを記録していながら、我が国ではイマイチというか、それほどの強い印象を残した感じではなく、同様にアメリカや他の諸外国でも中ヒットだったのが実情みたいてすからねぇ……。
ちなみに原曲タイトル「Mull Of Kintyre」はスコットランドに実在するキンタイヤ岬の事で、現地に行ったことがなくとも、ファンにとってはポール・マッカートニー所有の農場がそこにあるというだけで有名だと言われています。
それと気になる演奏メンバーなんですが、ウィングス名義とはいえ、外盤と共通のスリーヴデザインを用いたジャケ写にはポール&リンダ、そしてデニー・レインだけが登場している事から、発売当時には既に脱退が報じられていたバンドレギュラーのジョー・イングリッシュ(ds,vo) とジミー・マッカロク(g,vo) の参加は微妙であり、またリンダの妊娠出産もありましたから、実質的にはポール・マッカートニー(vo,b,g,ds,key,etc)とデニー・レイン(vo,g,b,key,etc) の親分子分が仕上げたものと推察しております。
ということで、スコットランドがどうなろうとも、そこから派生した音楽を含む諸々の文化は不滅であり、また人の営みも同様でしょう。
そして権力の存在と立場がど〜なろうとも、例えば「夢の旅人 / Mull Of Kintyre」のような素敵な歌が、そこに根差していたという真実は尊重されるべきですよねぇ〜。
ポール・マッカートニーは反対派という報道もありましたが、さてさて、どうなりますやら……、お気楽に構えていられる現在の幸せ(?)を大切にしなければ、申し訳ない……。
そう、自分に言い聞かせているのでした。
■Future Shock / Curtis Mayfield (Curtom / Buddah / 日本コロムビア)
今でも大好きなニューソウルの道にサイケおやじを引き込んだ偉人のひとりが、カーティス・メイフィールドでした。
もちろん、その発端はラジオで聴いた所謂ブラックシネマの傑作「スーパーフライ」の主題歌や挿入サントラ音源だったんですが、決定的だったのは続いて1973年に世に出たLP「バック・トゥ・ザ・ワールド」からシングルカットされた本日掲載のシングル盤A面曲「Future Shock」でありました。
それはいきなりファンキーなリズムとビート、グッと迫ってくるホーンセクションや思わせぶりなコーラス、さらには独特の裏声で歌うカーティス・メイフィールドの個性が当時は十代だったサイケおやじに文字どおりの大ショックを!
あぁ〜、こんなにカッコE〜〜、音楽があるんだなぁ〜〜〜♪
心底、シビれてしまった感動は今も鮮烈な記憶であり、それが今も継続しているのは幸せの極みと感謝するばかりなんですが、ご存じのとおり、リアルタイムでの日本ではカーティス・メイフィールドはそれほどブレイクしていたわけではなく、同じニューソウルというジャンルの中ではダニー・ハサウェイやロバータ・フラック等々、あるいは既にスタアになっていたマーヴィン・ゲイやスティーヴィー・ワンダー、ビートルズとの共演で名を売ったビリー・プレストンの人気には遠くおよばないという現実が確かにありました。
しかしカーティス・メイフィールドの音楽性は決して前述のミュージシャンに劣らない優れたものですし、なによりもある種の中毒性がサイケおやじには感じられたんですねぇ〜♪
そして当然ながら、この偉大なソウルマンのキャリアを調べたり、音源を漁ったりしたのは言わずもがな、残念ながら当時は経済的な理由から件の名盤アルバム「バック・トゥ・ザ・ワールド」が買えず、そこで「Future Shock」のシングル盤をゲットし、何度も何度も聴きまくった前科は消せるものではありません。
ですから全篇でワウやヴォリュームペダルを使ったギターワークがカーティス・メイフィールド本人の仕業である事にも深い感銘を受け、以前に出ていた関連レコードを聴く時にも、それに集中していた時期もあるわけですが、シンプルでありながら強烈なウネリを作り出しているリズム隊や鋭いキメが連発されるアレンジにも耳を奪われ、それらを担当したリッチ・テュフォなる才人も要注意だと思います。
ちなみにこの「Future Shock」も含めて、アルバム「バック・トゥ・ザ・ワールド」に収録の楽曲には、ちょうどその頃には激烈を極めていたベトナム戦争やアメリカ国内の特に黒人や貧困層に関する諸々の厳しい問題が歌い込まれているんですが、確かにそのとおりであっても、リアルタイムで聴いていた十代のサイケおやじには歌詞の英語を完全に理解する事は不可能でしたし、あえて知ろうとせずとも、提示されたサウンドや歌声に夢中になれれば、それで良かったのが真相です。
つまり不逞なリスナーであったわけですが、それでもグッと惹きつけられるのがカーティス・メイフィールドの音楽であり、ソウルだと思います。
ということで、既に述べたとおり、カーティス・メイフィールドのキャリア全般を後追いも含めて聴いていたサイケおやじは、全く飽きる事を知りません。
それらついては追々に書いていく所存ですが、生い立ちや成功の端緒となったインプレッションズと名乗るグループの誕生と活躍の場がシカゴという、実はサイケおやじの好む音楽の根城である事も、なかなか興味津々、深いものがあります。
また、ギタリストとしての実力と個性も凄いものがあって、皆様ご推察のとおり、サイケおやじはカーティス・メイフィールドのレコードを聴きながら、コピーしようとしても、そのコードが上手く採れないという実情が度々……。
どうやら特別のチューニングが用いられているという説は本当なのでしょう。
そしてリズムプレイの難しさは、言うまでもありません。
う〜ん、こういうミュージシャンが登場していたからこそ、ニューソウルは大きなブームになっていたんですねぇ〜〜♪
あらためて、そう思うばかりです。
■宇宙刑事シャイダー c/w ハロー! シャイダー / 串田アキラ (日本コロムビア)
ファミリー&子供向けのテレビ番組には思わず耳を奪われる主題歌や挿入歌、劇伴音源が存在する事は言わずもがなと思います。
例えば本日掲載のシングル盤は昭和59(1985)年から翌年にかけて放送されていた特撮メタルヒーロー物「宇宙刑事シャイダー(テレビ朝日)」のオープニング&エンディングテーマが入った、今や名盤扱いの1枚なんですが、当然ながらリアルタイムのサイケおやじが、その素晴らしさにグッと惹きつけられたのは、同番組を視聴していたからに他なりません。
何故って?
そりゃ〜〜、皆様既にご推察のとおり、アニーを演じた森永奈緒美のキュートなミニスカアクションとサービス満点のパンツ見せに魅了されていたからに決まっているわけですよ♪♪〜♪
なにしろ当時、ようやく普及し始めた家庭用ビデオデッキの活躍の場が、件の番組であったという告白は例え何であろうとも、サイケおやじのスケベ心以上に男の本懐と居直らせていただくわけですが、しかし、その流れの中で毎度シビレていたのが、ファンキーグルーヴに満ちたエンディングテーマの「ハロー! シャイダー」でありました♪♪〜♪
もちろん子供向けという事から、山川啓介の綴った歌詞は前向きなので、必然的に渡辺宙明の作編曲もアップテンポでアタックの強い仕掛けがメロディラインを活かしきった成功例と思うばかりなんですが、これをさらに強い印象に焼き付けてしまうのが串田アキラの粘っこい前ノリ歌唱!!
いゃ〜、本当に串田アキラは凄いボーカリストだと痛感させられましたですねぇ〜♪
また、カラオケパートの演奏もド迫力で、特にリズム隊のグイノリは圧巻ですし、黒っぽい女性コーラスも良い感じ♪♪〜♪
そして同趣向がA面収録の主題歌「宇宙刑事シャイダー」にある事も説明不要かと思いますが、山川啓介が綴った勧善懲悪の歌詞を尚更に煽る(?)渡辺宙明の作編曲が些か過剰なアップテンポの歌謡ソウルになっているところには、力んだ串田アキラのボーカルがジャストミート!
このビシバシのフィーリングが当時の幼い子供達にどの程度伝わっていたかは知る由もありませんが、考えてみればドラマ本篇の構成や演出は明らかに青少年を対象にしているわけですし、子供達に付き合うという大義名分でアニーを見ている大人達もターゲットにするには、これが結果オーライだったと思います。
なにしろサイケおやじが、このレコードを買ってしまったほどですからっ!
ちなみに串田アキラは今でこそ世界的な名声を得ていますが、おそらくは渡辺宇宙明の御用達になるまでは下積みの和製ソウルシンガーでしたからねぇ〜、局地的には注目されていた実力の一端が、ここで公にされたのも素敵な事でした。
ということで、今や懐かしのギャグではありますが、「サイダー」飲みながら、これを歌うというのもトホホな宴会芸でありましたよ♪♪〜♪
そんなこんなも含めまして、今もアニーのパンツ見せにトキメキを覚え、串田アキラの歌に血を滾らせるのもサイケおやじの本性というわけです。
最後になりましたが、ジャケ写に登場している森永奈緒美の表情は精彩が無くて、残念……。ど〜せならアニーのミニスカ姿を披露するデザインを望んでしまうのでした。
■悲しき願い c/wエブリシングス・オール・ライト / ケン・サンダース (日本ビクター)
現在でもハーフ系の俳優やタレント、そして歌手は大勢活躍していますが、サイケおやじの世代の皆様であれば、本日掲載のシングル盤を出したケン・サンダースはお馴染の顔かと思います。
なにしろ黒人の血が入ったルックスは正直、昭和40年代の我が国では印象が強過ぎたわけですが、しかし映画やテレビドラマでは必要不可欠なキャラであった事も確かで、それはお叱りを覚悟で書かせていただければ、当時の日本では「混血」という存在が「在日」と同じく、侮蔑の対象であった現実とは無関係ではありません。
そのあたりの感覚は現在からはあまりにも想像し難いでしょう。
しかし同時に「混血」には日本人には無い、ある種のカッコ良さが確かにあって、それゆえに芸能界やファッション界で表立った活動も出来ていたわけですし、憧れの対象という以上に様々な場面で存在感を発揮していた事を忘れてはなりません。
さて、そこでケン・サンダースは俳優として、劇中では不条理な役柄も多かったんですが、それでも必要以上の卑屈さや喜怒哀楽は見せないという芯の強い演技は流石です。
そしてもうひとつ凄いのが、歌の実力!
ご紹介のシングル盤A面曲「悲しき願い」は昭和40(1965)年に発売されたもので、当然ながらタカオ・カンベの訳詞による尾藤イサオとの競作ながら、独特の厚みがある声質を活かした節回しや粘っこいノリは、まさにソウルフルですよ♪♪〜♪
それを「黒人の血」云々で語るのは容易かもしれませんが、サイケおやじには決して楽ではなかったと思われるケン・サンダースの生き様がナチュラルに滲んだものと思いたい気持ちがあります。
むしろ「歌の実力」と書いた前述よりも、「味わいの深さ」と言うべきかもしれません。
ということで、ケン・サンダースが何枚レコードを吹き込んだのかは知る由もなく、私有盤もこれっきりなんですが、もっともっと聴いてみたい「歌手」のひとりです。
ちなみにB面収録の「エブリシングス・オール・ライト / Everythings All Right」も日本語詞によるカバー物なんですが、ノリの良い和製ポップスとエレキ歌謡の間に誕生したが如き、これも「ハーフ」と書けば顰蹙でしょうか?
しかし独特のタメが効いた、ケン・サンダースならでは台詞回しが歌の世界で活きた快唱だと思います。
あぁ〜、他にどんなレコードがあるのかなぁ〜〜。
本当に気になる歌手のひとりがケン・サンダースというわけです。
■女は生きるために泣く c/w 嘆きの湖 / 三浦恭子 (東芝)
もちろん掲載盤はジャケ買いした1枚ですから、サイケおやじは三浦恭子について知るところもありません。
しかし発売されたのが昭和43(1968)年頃となれば、中身は必然的にGS色が多少なりとも滲んでいるに違いないと踏んで勇躍針を落としてみれば、おぉ〜っ! なんとっ!
如何にもベタな曲タイトルが昭和歌謡っぽいA面収録の「女は生きるために泣く」が、予想外のサイケデリック風味で歓喜悶絶!?!
それは作詞:なかにし礼&作曲:鈴木邦彦の仕掛けというよりは、アレンジを担当したのがハプニングス・フォーのクニ河内というところに秘密(?)の一端があると思うのはサイケおやじだけではないでしょう。
とにかく低音域重視のホーン&ストリングスの不気味な響き、クールで熱いオルガンとジージージリジリのファズが効きまくったギター、そしてなによりも情念丸出しのコブシで迫る三浦恭子のボーカルがエグイですよっ!
それはもう、全くジャケ写のお美しい面立ちとは正反対でもあり、同時に「さもありなん」という女の怖さの表出であるかもしれません。
う〜ん、本当に凄いです……。
しかし、一方のB面収録「嘆きの湖」は狙いどおりのGS歌謡がど真ん中♪♪〜♪
山上路夫の綴った歌詞は些かドロドロした恋愛模様なんですが、鈴木邦彦の闊達な作編曲はキュートなイメージの味付けが結果オーライかと思います。
ということで、こういうブツが平然と作られていた当時、他にも同種のネタ盤が夥しいという推察は容易でしょう。
だからこそ、昭和歌謡曲の奥の細道を辿るのは険しくも楽しいわけです。
老い先も決して長くはないサイケおやじは、往生際が悪いと言われようとも、止められない道楽と自覚しているのでした。
■さだめのように川は流れる / 杏真理子 (日本コロムビア)
一度は書いておきたいのが、杏真理子という歌手です。
もちろん、残念ながらブレイク出来ませんでしたので、知る人ぞ知るの存在かもしれませんが、局地的には作詞家の阿久悠のお気に入りだつたという逸話もありますから、その実力は相当なものだったはずです。
掲載したシングル盤は、おそらくは彼女のデビュー作になるのでしょうか、A面収録の「さだめのように川は流れる」は、その曲タイトルからして、阿久悠の綴った歌詞にはヘヴイな人生模様が滲んでおり、加えて作曲:彩木雅夫案と編曲:馬飼野俊一が企図したのは、ブルージーな演歌バラードという、如何にも発売された昭和46(1971)年の洋楽系歌謡曲かと思います。
しかし杏真理子の歌声と節回しにはソウルフルというよりも、泥臭い情念の拭いきれないような深みが感じられるんですから、リアルタイムのラジオからは頻繁に流れていた記憶も鮮明ながら、大きなヒットにはならなかったという結果は当然かもしれません……。
そこには一緒に口ずさめるようなキャッチーなフレーズが無いという事もありましょう。
ただし、それが杏真理子の「らしさ」である部分も否定出来ないんですよ。
ちなみに彼女は東北出身の日米ハーフ、クラブ歌手としての活動後にメジャーなレコードデビューを果たしただけあって、マスコミを含めた業界関係者や評論家の先生方からのウケも良かったそうですが、やはりディープな印象が先入観としての陰湿さに繋がっていたとしたら、それは強い思い込みでした。
ご存じのとおり、同時期には似た様な歌でヒットを飛ばしていた北原ミレイが売れていたのですから、杏真理子だって!?!
あぁ、世の中は残酷です。
結局彼女はフェードアウト気味に日本の芸能界を去り、渡米しての新しい道を歩んでいたのですが、当地で事件に巻き込まれ、二十代半ばでこの世を去っています。
ということで、冒頭で「書いておきたい」と述べたのは、サイケおやじが先輩に連れられて、所謂ナイトクラブという場所へ最初に足を踏み入れた昭和49(1974)年のその日、店には杏真理子が出演していたんですねぇ〜♪
何を歌っていたのかは当時のメモにも残していませんが、彼女が幾分薄いスポットライトの中に登場した佇まいは、しっかりと覚えています。
正直、軽い気持ちでは聴けない歌手かもしれませんが、数枚のシングルとLPを1枚残している杏真理子の音源は集成されるべきと、強く思っているのでした。