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ポニー・テールの夢見心地の歌謡ポップス

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■二人は片想い c/w 瞳を閉じて / ポニー・テール (東芝)

ユーミンは説明不要のシンガーソングライターですが、最初は職業作家としてスタートしているので、当然ながら他人に提供した作品の中にも名曲が数多く、中でもサイケおやじが大好きなのが、昭和51(1976)年に発売された本日掲載のシングル盤A面曲「二人は片想い」です。

歌っているポニー・テールは小島康子と桜庭由子のデュオなんですが、ポニー・テールとしてレコードを出す以前に ROW という女子高生(!?)4人組のフォークグループとして実質的にデビューしていたという履歴は良く知られるところでしょう。

それは昭和48(1973)年末頃の事で、実はサイケおやじの知り合いが彼女達も出場した某フォーク音楽祭に参加した時、最優秀賞だったのが件の ROW だったらしく、めちゃくちゃに悔しがっていたもんですから、果たして彼女達の実力は如何に!?

なぁ〜んていう興味を微かに抱いて時が流れ、それがポニー・テールとしての再デビューから、これほど素敵なレコードを出してくれようとは、まさに嬉しい誤算と言っては失礼千万、贔屓の引き倒しと反省する他はありません。

まずはとにかく、全体のサウンド作りがドリーミーな往年のハリウッドポップス仕様で、早急な結論としてはフィル・スペクターが専売特許のウォール・オブ・サウンドを狙っているんですから、ユーミンが荒井由美名義で書いた、愛と友情の胸キュンソングはストライクゾーンのど真ん中♪♪〜♪

そしてアレンジが鈴木慶一&中村弘明とくれば、バックの演奏はムーンライダースであり、ハンドクラッピングやエコーの使い方はもちろん、ミックスが当時としては異端(?)のモノラルなんですから、リアルタイムのサイケおやじは心底、アッと驚かされ、歓喜悶絶しましたですねぇ〜〜〜♪

ちなみにこの「二人は片想い」は、後にユーミン自らが「昔の彼に会うのなら」にリメイク! 昭和57(1982)年のアルバム「パールピアス」に収録していますので、気になる皆様は聴き比べも楽しい時間かと思いますが、個人的にはポニー・テールに軍配というのが本音でありまして、それほど夢見心地の少女趣味が、サイケおやじの様な変態者をも虜にしているというわけです。

また、B面に収録された「瞳を閉じて」もご存じ、ユーミンクラシックスの中の人気カバー作として、名盤LP「ミスリム」の中のオリジナルバージョンとは掛離れた(?)SF調に仕上げてありますが、そんな岡田徹のアレンジとは別の個性を表出させるポニー・テールのボーカル&コーラスワークの繊細な感じも捨て難いところ♪♪〜♪

これはこれで傑作かもしれません。

ということで、サイケおやじは、こういう虫歯になりそうな甘〜い歌謡ポップスが大好きであって、ニューミュージックという便利な業界用語がどうにか認められ始めた当時、ポニー・テールも代表格になるはずが……。

残念ながら、翌年あたりには活動を停止したようです。

最後になりましたが、前述の ROW から引き続いた初期ポニー・テールには他に相馬淳子と杉田久美子が在籍しており、特に相馬淳子はセッションシンガーを経て、ラジの芸名で昭和52(1977)年にソロデビューしたんですが、そのラジ名義のレコード諸作がアルバムメインで相当に売れた事から、逆に ROW やポニー・テールが再注目されたのは今や昔の物語でしょうか。

恐らくは、まともな復刻もされていないであろう彼女達の音源は、もっと聴かれてしかるべきと思うばかりです。


夏の歌なら、あおい輝彦!

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■センチメンタル・カーニバル / あおい輝彦 (テイチク)

あおい輝彦は説明不要の大スタアであり、それは少年期の人気モデルから青年期にはジャニーズのメンバーとして歌に踊りに大活躍!

昭和30年代後半から芸能界では確固たる存在になっていましたが、今日では俳優としてテレビ時代劇「水戸黄門(TBS)」における佐々木助三郎=助さん、声優としてはテレビアニメ「あしたのジョー」における矢吹丈としての実在感も満点かと思います。

もちろん映画やテレビドラマ出演でも、他に強い印象を残している作品は夥しいわけですが、ジャニーズ解散後のソロ歌手としてのあおい輝彦が抜群の実力と実績を示していた事は言わずもがなでしょう。

そうしたイメージの基本にあるのは、万年青年というべき好感であり、育ちの良さゆえに、ひとつ間違えれば、ノーテンキになりそうな歌であっても、あおい輝彦ならばジャストミートの名唱になるんですよねぇ〜♪

例えば昭和52(1977)年夏に大ヒットした本日掲載のシングル盤A面曲「センチメンタル・カーニバル」は、作詞作曲:阿部敏郎&編曲:馬飼野俊一によるオールディズ調の疑似GS歌謡なんですが、そのお気楽なノリがあおい輝彦の屈託の無い歌いっぷりによって、極限まで増幅されたフィーリングは唯一無二!

これはカラオケでも人気曲なので、我々のような中年者の御用達として、軽い気持で歌って、ノリまくれる仕込みがニクイばかりではありますが、そんんなこんなも、リアルタイムのあおい輝彦から自然に刷り込まれていたんじゃ〜ないでしょうか。

ちなみに同曲は後に芳本美代子がリメイクカパーしていた記憶がありますので、もしかしたら現代のお若い皆様というか、既に三十代の諸氏にしても、親しみがあるはずと推察しております。

そして、例えなんであろうとも、夏にはこうした浮かれ気分の歌が必要なのは、何時の時代も同じでしょう。

ということで、あおい輝彦の歌は常に楽しく、心温まる世界を提供してくれますが、最近はあまり新曲を出してくれないのが残念……。

もう一丁、お願いしま〜〜す。

いしだあゆみの夏の憂いも魅力

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■昨日のおんな c/w 誘惑的な午後 / いしだあゆみ (日本コロムビア)

掲載したシングル盤は、いしだあゆみの昭和45(1970)年夏のヒット曲「昨日のおんな」をA面に収録していますが、ファッションスタイルは時節にジャストミートしていながら、彼女のポートレイトには愁いが滲み、加えて件の「昨日のおんな」が演歌っぽい仕上がりになっていたのは、未だ中学生だったリアルタイムのサイケおやじには、些か馴染めないものでした。

う〜ん、いしだあゆみには、もっとポップス調の歌が似合うのになぁ〜、等々を思いつつ、実はB面に収録された「誘惑的な午後」ばかりを聴いていたのが実相です。

なにしろそれは作詞:橋本淳&作編曲:筒美京平による、ライトタッチの洋楽歌謡とでも申しましょうか、とにかく楽しいビートポップス風味が感度良好♪♪〜♪

なんでこっちがA面にならなかったのか、不遜にも当時はそんな思いのサイケおやじでありました。

ところが時が流れ、すっかり初老の現在においては、A面曲「昨日のおんな」が愛おしいわけですよ。

それは作詞:なかにし礼&作曲:井上忠夫が企図した、湿っぽい歌謡曲の保守本流であり、途中で一瞬、「ブルー・ライト・ヨコハマ」のメロディに接近する曲展開も憎めませんし、森岡賢一郎のアレンジも、そこへの狙いをビシッと定めているんでしょうか、なかなか聴き飽きのこない仕上がりは、何度でも聴きたくなる不思議な味わいが、たまりません♪♪〜♪

うむ、やっぱりこっちがA面で大正解だったんでしょうねぇ〜。

というか、いしだあゆみの大人の魅力が、イノセントな少年期のサイケおやじには理解不能の世界!?

とすれば、齢を重ねるのも、悪くはありません。

それを自分に言い聞かせているのでした。

イエスの確認作業

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■Classic Yes (Atlantic)

1981年末に発売されたイエスのベストアルバムなんですが、これには当時、公式には未発表だったライブ音源を入れたシングル盤がおまけされていましたから、無視する事は絶対不可能!

 A-1 Heart Of The Sunrise (from こわれもの)
 A-2 Wonderous Stories (from 究極)
 A-3 Yours Is No Disgrace (from サード・アルバム)
 B-1 Starship Trooper (from サード・アルバム)
 B-2 Long Distance Runaround (from こわれもの)
 B-3 The Fish (from こわれもの)
 B-4 And You And I (from 危機)

★おまけシングル盤
 A-1 Roundabout (Live)
 B-1  I've Seen All Good People (Live)

上記の収録演目からして、これはリアルタイムのイエスがライプで演じて盛り上がる人気曲ばかりなんですが、今日では良く知られているとおり、実はアルバム発売当時のイエスは活動停止という以上の解散状態……。

その経緯を簡単に述べれば、まず1977年に出したアルバム「究極」が、およそイエスらしくない、普通(?)のロックバンドの如き大衆性を提示した事から、それはそれで良質な仕上がりの名盤であり、正直に告白すれば、サイケおやじは、そうした新生イエスを心地良く受け入れていたんですが、続く翌年に発売された「トーマト」は、せっかくのLPとしての役割を放棄したんじゃ〜ないかっ!?

と思わざるを得ないほど、ポップな軽さが目立つ楽曲の寄せ集めであり、リアルタイムから業界の流行になっていた所謂ニューウェイヴに媚びた感じが、本当はイエスにしか出来ない緻密な計算に基くサウンド作りがあったにしろ、古い体質のサイケおやじには、ど〜しても馴染めない作品でした。

そしてさらに仰天させられたのが、1980年に発表された新作アルバム「ドラマ」での執念とでも申しましょうか、それまでのイエスの立役者であったジョン・アンダーソン(vo)、そして人気者のリック・ウェイクマン(key) が抜け、同時期にバグルスと名乗るニューウェイブのグループを運営していたトレヴァー・ホーン(vo) とジェフ・ダウンズ(key) が替わりに入りながら、提示されたサウンドは往年のプログレがど真ん中だったんですから、一歩進んで二歩下がるみたいな現実には、素直になれなかったんですねぇ〜〜〜。

しかもご丁寧な事にジャケットデザインが「究極」〜「トーマト」で新生イエスを正面から印象づけていたヒプノシスから、プログレ全盛期のイメージを象徴するロジャー・ディーンに担当回帰させたのも、潔くないというか……。

ただし、内容は決して悪くはありませんでしたよ。

極言すれば完全に死にかけていたプログレというジャンルにおいて、それに拘り続けていたファンには嬉しいプレゼントだったんじゃ〜ないでしょうか?

気になるトレヴァー・ホーンのボーカルも、それほどジョン・アンダーソンの不在を感じさせない曲展開や演奏があれば、結果オーライと言えなくもありません。

実際、この「ドラマ」をプログレの傑作アルバムとする某評論家先生の熱弁も記憶に残っているほどです。

しかし、やっぱりファンの気持は晴れなかったのでしょう。

一応は巡業ライブもやっていたイエス本隊にしても、そのあたりを当然のように察したのでしょうか、前述したとおり、1981年には実質解散状態に……。

そしてこのベスト盤は、残された唯一のオリジナルメンバーであるクリス・スクワイアの選曲監修によるものとして、件のおまけシングル盤と定番ロジャー・ディーンのジャケットデザインという付加価値もあり、侮れない1枚になっています。

で、気になる公式未発表ライブ音源の「Roundabout」と「I've Seen All Good People」は何れも1978年10月の録音で、メンバーはジョン・アンダーソン(vo)、スティーヴ・ハウ(g,vo)、リック・ウェイクマン(key)、クリス・スクワイア(b,vo)、アラン・ホワイト(ds,per) で、しかも結成10周年記念ツアーからの演奏は、まさに緻密と洗練とパワーに満ちた、物凄い勢いが堪能出来るんですねぇ〜〜♪

もちろんシングルの7吋盤といっても、33回転ですから、両面収録2曲共に長時間の歌と演奏は期待を裏切っていません。

「I've Seen All Good People」におけるライプならではのメンバー紹介も楽しい限り♪♪〜♪

あぁ〜、やっぱりイエスは強烈無比!

そういう思いを再認識させられましたですよ、実際♪♪〜♪

ちなみに、あらためて言うまでもなく、同時期のライプ音源は、このベスト盤が世に出る以前の1980年、問題作(?)「ドラマ」に続いて発売された「イエスショウズ」と題する2枚組LPにも幾つか収められているんですが、あえて拙ブログで順番を逆にご紹介させていただいたのは、1970年代末頃のイエスとロック業界におけるプログレの存在意義を皆様に再確認していただきたかったからで、その「イエスショウズ」の素晴らしさ、楽しさについては追々にという事で、ご理解下さいませ。

最後になりましたが、プログレが現在、どのような状況に置かれているかは知る由が無く、それはサイケおやじが現在進行形の音楽に興味が持てず、OLD WAVE にどっぷりと浸かっているからでして、それを微温湯と揶揄されたとしても、満足度が違うわけです。

その意味で、1983年に劇的な復活を遂げたイエスがプログレというよりは、さらにモダンなロックバンドに変身していた事に対しても、失望と羨望がアンバランスに溶け合った気分でした。

ただし、それでもイエスはイエス!

アッと驚かされる真実の提示は、以降も続いていくのでした。

白々しさと着エロ歌謡の由美かおる

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■私は女 c/w セクシー・トゥナイト / 由美かおる (日本コロムビア)

「猫顔マニア」ならずとも、日本男児のみならず、世界中の男を狂わすフェロモン美女が由美かおるの存在意義であるならば、昭和55(1980)年に発売された本日掲載のシングル盤は必須アイテムでありましょう。

と、例によってノッケから大袈裟な言い訳を弄しなければならないほど、リアルタイムの由美かおるは既に熟女の域とはいえ、持ち前の白痴美が全開していたんですから、テレビで接するだけでもドギマギさせられたのがサイケおやじの素直な気持ちです。

実は説明不要かと思いますが、これは当時、東京12ch=現・テレビ東京で春〜夏に放送されていたセクシーアクションドラマ「ミラクルガール」の主題歌と挿入歌を収めた1枚ですからねぇ〜〜♪

脳裏に焼き付けられた「美味しい」場面の残像がレコードに針を落す事によって、尚更に鮮明に蘇ってくるという、そんな企画にまんまとノセられた自分が情けないと自嘲する事さえ後回しだったというわけです。

ちなみに「ミラクルガール」は同局の大人気作として今や伝説の「プレイガール」の系譜を受け継ぎながら、流石にそこまでのセクシー演出は控えられているものの、由美かおる以下、伊佐山ひろ子、水原ゆう紀、藤田美保子、樹れい子、ホーン・ユキ、ナンシー・チェニー等々のレギュー陣に加え、毎回の豪華ゲスト女優さんが所謂着エロっぽい演技を披露してくれましたからねぇ〜〜♪

今、再鑑賞すれば、大した事は無いなぁ〜、と思ってしまうかもしれませんが、少なくともサイケおやじの記憶では、かなり凝視に値する場面があったんですよ♪♪〜♪

もちろん、繰り返しますが、モロなパンツ見せとか乳首出しなんかよりは、見えそうで、見えない、見せてくれないという演出を美しすぎる女優陣がプライドを持って披露していたわけで、それにグッと惹きつけられるのも男の本懐と思います。

で、肝心の掲載シングル盤なんですが、まずはA面収録の「私は女」が作詞:橋本淳&作曲:渡辺岳夫によるゴージャスなソウル系歌謡でありながら、由美かおるのボーカルが、めちゃキュート♪♪〜♪

と言うよりも、ぶりっ子モードが寸止め状態で、キメのひとつの「あぁ〜っ」という悶えの節回しでさえ、その白々しいノリはニクイばかりなんですから、たまりません♪♪〜♪

京建輔のアレンジによる曲展開も、なかなか確信犯的なところで、いやはやなんとも、由美かおるのセクシーさの特徴である、スバッと見せても、その奥底には、あくまでも演技であるという矜持が逆手に活かされた傑作と思います。

また、挿入歌扱いのB面曲「セクシー・トゥナイト」は、これまた同じ制作トリオが提供したミディアムテンポの演歌系シティミュージックであり、せつせつと歌いながらも、妙に澄んだ彼女の節回しが「味」の世界でしょうか。

ちょっぴり大野雄二の世界に近いようでありながら、この演歌グルーヴはクセになりそうです♪♪〜♪

ということで、由美かおるは、やっぱり素敵な存在であり、何をやらしても唯一無二の存在感がありました。

それをナチュラルフェロモン云々で説明するのは易い気も致しますが、しかし彼女だって、決してそれに頼っていたわけではないでしょう。

芸能の本質をきっちり自らの努力で開花させていたに違いありません。

でなければ、全てが浮ついた結果になったはずで、それは十人十色の思い入れかもしれませんが、サイケおやじは、そこが由美かおるの魅力のひとつと思っています。

そして当然ながら、「ミラクルガール」の復刻DVD or BDの発売を願い続けているのでした。

悲しき願いの汎用と普遍

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■悲しき願い / Santa Esmeralda (Fauves Puma / フィリップス)

名曲は不滅という真実は、今更云々する事も無い、まさにこの世の理ではありますが、それにしても「悲しき願い / Don't Let Me Be Misunderstood 」ほど、何時の世も、また世界の何処でもウケまくる歌は稀じゃ〜ないでしょうか。

そのオリジナルは黒人歌手のニーナ・シモンが1964年に出したバージョンと言われていますが、曲の最初のアイディアは彼女の担当プロデューサーであったホレス・オットの妻が口ずさんだらしく、それを職業作家のベニー・ベンジャミン等々、数人の合作として完成されただけあって、件のオリジナルバージョンは粘っこいスローテンポに仕上がられていながら、後にはアニマルズのロックバージョンや尾藤イサオの歌謡ロックバージョン等々、如何様にも転用可能な、所謂「使える」メロディと歌詞は秀逸の極みと思います。

それは本日掲載のシングル盤A面曲としても、1977年に堂々のディスコサウンドに変身させられ、世界中で大ヒットした事でも明らかなんですが、キメとなっているのがラテンのリズムやスパニッシュ調の彩りである点は目からウロコ!?

実はその頃、日本ではあまりブームにはなりませんでしたが、サルサと称されたジャズロックとラテンミュージックが融合したようなダンス音楽がニューヨークから世界中に広まっていましたからねぇ〜〜、それがあってこそのサンタ・エスメラルダ版「悲しき願い / Don't Let Me Be Misunderstood 」の大ヒット!

その点は否めない事実だと思います。

ちなみにサンタ・エスメラルダは皆様ご推察のとおり、スタジオで作られた「実態の無いグループ」のひとつで、スタジオミュージシャンのリロイ・ゴメスがリードボーカル、他にニコラス・スコースキーとジーン・マヌエル・デ・スのソングライターコンビが共同で制作していたプロジェクトだったんですが、そりゃ〜、もちろん売れるように努力した結果とはいえ、ここまで爆発的に世界を熱狂させるなんてこたぁ〜、意想外と書けば失礼千万、でもねぇ〜〜〜〜♪

そこで業界の慣例として、忽ち営業用のサンタ・エスメラルダが結成され、露出度の高い衣装も魅力の女性ダンサーを2〜5人ほど連れた羨ましき野郎が熱唱するスパニッシュディスコの「悲しき願い / Don't Let Me Be Misunderstood 」は、現在でもネット等々で映像がご覧になれるはずですが、この分かり易い衝撃度は温故知新の影響力も絶大で、前述した世界的なメガヒットに準ずるように我国でも、同曲を最大の持ちネタにしていた尾藤イサオが女性ダンサー&コーラスの2人組を連れた尾藤イサオ&ドーン名義の新バージョン「悲しき願い」を出したり、筒美京平が中原理恵の「東京ららばい」や山内恵美子の「太陽は泣いているセンセーション '78」等々を世に送り出した企画も忘れられません。

ということで、実はサイケおやじは今朝、某国への出張から帰ったんですが、その訪問先が失礼ながら、なんとも後進なところで、ほとんどの住民がケイタイを使っているのに、設置型の電話は無いに等しく、それゆえにネット環境も脆弱の極み……!?

もちろん高速回線なぁ〜んてものは不安定状態で、どうにかネットには繋がっても、書き込みは不可能に近いんですからねぇ〜〜!?

言い訳になりますが、拙ブログの更新もストックを入れるのがやっとで、それゆえにレスも遅れてしまった事は、どうかご容赦下さいませ。

で、なんで本日がサンタ・エスメラルダ版「悲しき願い / Don't Let Me Be Misunderstood 」かと言えば、そういう土地柄ゆえかもしれませんが、これが現在でもディスコもどきの遊び場で、こちらが驚いたほど人気が継続していたからなんですよっ!

いゃ〜、まさに OLD WAVE なサイケおやじは嬉しいやら、せつないやらの苦笑いだったというわけです。

そして当然ながら、そこで使われていたのは、LP収録のロングバージョンであった事を付け加えるのは、余計なお世話でしょうか。

それもまた、懐かしき1970年代の風情と思うばかりです。

あざみ白書の哀楽

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■あざみ白書 / 小林旭 (クラウンレコード)

失われてしまった事象への惜別と同じように、全く体験出来なかった物事への憧れも、また強いものがあります。

例えば、通称「赤線」と呼ばれる遊廓街は、単なる売春や風俗業が罷り通る現代の遊び場とは、ちぃ〜とばかり似て非なる風情があったんじゃ〜ないかなぁ〜〜〜。

と、サイケおやじは昔っから映画や小説等々で接する「赤線」に対し、漠としながらも、執拗な興味を抱いていたわけですが、そんな時に出会ったのが作曲家の小林亜星が滝田ゆうの描いたイラストとコラボした「あざみ白書」という素敵な名著で、内容は全国の遊廓街の記憶に残るガイドブックであり、すっかり失われてしまった桃源郷における人間模様のあれこれも含む世情の物語は、あきりたりなドキュメントや歴史物とは味わいが違いました。

それは滝田ゆう独得のイラストの印象も強くて、せつなさや寂しさや浮世の憂さ……、そんなこんなが喜怒哀楽と森羅万象の境目で表現されたイメージは、やはり日本人の琴線に触れる何かがあるように思います。

そこで本日掲載したのは昭和55(1980)年に発売された、その「あざみ白書」のタイアップレコードなんでしょうか、まずはジャケットのイラストが滝田ゆう♪♪〜♪

その一点だけでも「買い」は必定であり、当然ながら作曲が小林亜星なのは「お約束」以上の必然!

もちろん小林旭ならではの歌いっぷりの良さの中から、じわっと滲み入る「節」の哀切感が阿久悠の作詞と絶妙に溶け合う、それが昭和歌謡曲の正統なのは言うまでもないはずです。

う〜ん、一度は行ってみたかったですねぇ〜。

ということで、そうやって思えば、現在の歓楽地帯も何れは懐かしい場所になるんでしょうか……。

これまで仕事がらみとはいえ、いろんなところを訪れたサイケおやじは、あれやこれやを思い出しているのでした。

真理アンヌの夏は妖

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■太陽ハント / 真理アンヌ (キングレコード)

なんともエスニック系の夏という印象も強い、これは真理アンヌが昭和41(1966)年に出したビート歌謡の人気曲「太陽ハント」をA面に収めたシングル盤なんですが、やはりジャケ写に登場している彼女には、不思議なほどに逆らい難い魅力を感じてしまいます。

そして知る人ぞ知る!

この「太陽ハント」は小林亜星のCMワークスの中でも特に有名な「レナウンのワンサカ娘」の別バーションという真相があるんですねぇ〜〜♪

 レェ〜〜ナウ〜ン レェナウンむすめがぁ
 ワンサカワンサカワンサカワンサカ〜♪

っていう、例の歌は、広く日本で生活する我々であれば、一度は耳にされてきたにちがいないはずでしょう。

確か最初のバージョンは昭和30年代末に弘田三枝子が歌っていたと記憶しているんですが、今日まで他に久美かおりアン・ルイスヒデとロザンナセルスターズ等々の人気者達が時代毎に披露し続け、現代でもそれなりのアレンジで様々な歌手やグループが演じている事は、言わずもがなでしょう。

それがど〜して、真理アンヌが「太陽ハント」のタイトルで出してしまったのかは不明確で申し訳ありませんが、彼女特有の厚ぼったい声質の節回しが、ミョウチキリンな気持良さを伝えてくれるあたりは侮れません。

ちなみに同曲の作詞には横井弘が関わっているんですが、その中のキメになっている「いいわぁ〜〜♪」というパートが、演者によってニュアンスの違いが常に出ているところも注目点でしょうか。

個人的にはアン・ルイスの外人系の発音が一番好きですが、ここで真理アンヌが聞かせてくれる、ちょっぴりヤケッパチなシャウト系のキメも捨て難いですよ♪♪〜♪

ということで、本日これを出してしまったのは、昨日の拙ブログで小林亜星について、少〜しばかり触れてしまった勢いもありまして、やっぱり小林亜星は決して寺内貫太郎ばっかりの人ではなく、非常に優秀なソングライターである証のひとつが、この「ワンサカ娘〜太陽ハント」だと思います。

うむ、本日の真夏の暑さにジャストミートの名曲ですよねぇ〜♪

そして最後になりましたが、最近ゲットした彼女の写真集「妖の女(洋泉社)」が、最新インタビューも含めて、なかなか素敵♪♪〜♪

それも激オススメであります。


なぎら健壱の国民的ヒット曲

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■悲惨な戦い / なぎら健壱 (エレック)

さて、いよいよ本日から始まった大相撲名古屋場所は、ど〜にも日本人力士の奮起云々ばっかりが注目されそうな気配ですが、現実的には常に外国人力士の活躍が目立っている以上、もう少し平坦な見方をしないと、せっかくの興業が楽しめないような気がします。

そこで本日掲載したのは、相撲の歌としては有名すぎる名(迷)曲「悲惨な戦い」でありまして、サイケおやじと同じ世代の皆様に限らず、これが放送禁止になった経緯以上の話題性は忘れられるものではありません。

もちろん内容はジャケ写イラストでツカミはOKでしょう。

テレビで全国放送されていた大相撲の土俵上で、取り組みの最中に褌が外れて落ちるという事件をシニカルなユーモアを交えて語った、つまりはトーキングスタイルのフォークソングでありまして、自作自演のなぎら健壱にとっても、発売した昭和48(1973)年以来、代表的なヒット曲!

実際、当時のラジオの深夜放送では爆発的にオンエアされ、レコードも忽ち売れまくったんですが、なんとっ!

その勢いが猛烈だった上昇期に「自主規制」と言われる放送禁止措置が!?!

しかし、そうなればなったで、かえって話題は盛り上がったんですよねぇ〜♪

ちなみに件の「自主規制」は当然ながら日本相撲協会とNHKに対する気遣いから、民放各社が足並みを揃えたものと言われていますが、確かに実在の力士の四股名を歌詞に入れていても、リアルタイムの状況は外しているのですから、パロディ&コミックソングとしてウケていた事は言うまでもありません。

なぎら健壱にとっても、芸能界が歌謡フォークブームの最中に、そんな仕打ちがあろうとは……、等々の気持は強かったはずですが、ライブステージの現場では歌っていられたのですから、逆説的に人気と知名度をアップ出来た事は幸いだったと思います。

そして現在のなぎら健壱は、酔いどれの芸人みたいに思われているかもしれませんが、ミュージシャンとしての歌とギターの本物度は相当に高いですし、役者としての味わいも深く、また各方面のコレクターとしても一目置かれる存在として、なかなかの要注意人物なんですよっ!

この「悲惨な戦い」のジャケ写イラストにしても、本人が描いたものですからねぇ〜。

まさに多芸多才のなぎら健壱は、果たして最近の大相撲をどのように考察しているのか、大いに気になるところでもあります。

ということで、この世の「悲惨な戦い」は、現時点でも世界の何処かでやっている戦争という名の殺し合いから、悲喜こもごものスポーツの試合、博打や仕事の駆け引き、さらには人間関係の縺れ等々も含めて、決して笑えないものばっかりですから、なぎら健壱が提供してくれた同曲における泣き笑いは大切にしなければなりません。

既に述べたとおり、この歌がリアルタイムで放送禁止の自主規制に相成った経緯は、それが「何故?」という疑問すら報道されないまま、流れの中で勝手に決められたように思います。

見せたがっているもの、聞かせたがっているもの、報道したがっているものにしか接する事が出来ないのでは、何処か隣国の人民と変わらないわけですねぇ……。

そんな事まで、考えさせられてしまうのでした。

シンプルにカッコE〜〜♪ それがロックギターなのだっ!

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■Memphis / Johnny Rivers (Imperial / 日本ビクター)

もちろん努力は大切ですが、しかし楽してカッコつけられるんなら、それもまた素敵な成り行きと思っているのがサイケおやじの本音です。

例えばギターの練習にしても、難しいスケールやコード、リズムパターンを体得する事は上達への関門であり、上手くなりたかったら避けては通れない道ではありますが、それよりもシンプルでキャッチーなリフや気持良い、所謂光物のコードを覚えるのが「楽な道」という真実は否定出来ないでしょう。

実際、サイケおやじはそんな逃げ道にばっかり入って来たので、当然ながらプロになる気もありませんし、修行僧(?)でもないので……、なぁ〜んていう言い訳を弄する事も度々でありました。

さて、そこで本日掲載のシングル盤A面曲「Memphis」は、オリジナルがチャック・ベリーのR&Rの聖典のひとつとして、これまでにもエルヴィス・プレスリーやビートルズ、アニマルズ等々、夥しいミュージシャンがカバーレコーディングを残してきているわけですが、このジョニー・リバースのバージョンこそが、少なくともアメリカの白人社会にとっては、一番に知られる名演かと思います。

なにしろ発売されたのがビートルズ旋風が全米に上陸した1964年春という事もありましょうが、件のチャック・ベリーのオリジナルバージョンよりも、さらに激しいロック的なグルーヴがありますからねぇ〜〜♪

実はご存じのとおり、これは基本が当時のLAにオープンしたばかりの「ウィスキー・ア・ゴー・ゴー」におけるライプレコーディングで、メンバーはジョニー・リバース(vo,g) 以下、ジョー・オズボーン(b) とエディ・ルービン(ds) のトリオ編成でありながら、本来は湧き方が足りなかったらしい観客の拍手や歓声、手拍子等々に加えて、ちょっぴりギターやパーカッション(?)をオーバーダビングしたと思しき仕掛が大正解!

忽ちヒットチャートの上位にランクされ、同時期に録られたライプセッションからの楽曲を編集したLP「アット・ウィスキー・ア・ゴー・ゴー」もバカ売れという、これがジョニー・リバースの大ブレイクでありましたが、その要因のひとつが、既に述べたような、シンプルながらカッコ良いギターにあったんじゃ〜ないか?

と、サイケおやじは思っているのです。

これは実際に聴いていただくのが最良でしょう。

そこに演じられるコードワーク基本のギターリフは、その気になれば、初心者でも練習次第でやれる範疇のはずです。

ただし、問題は、同等のグルーヴやノリを出せるか、否か!?

あくまでも個人的な体験談になりますが、それこそが「ジョニー・リバースの Memphis」、そしてロケンロールの真髄に迫る必要十分条件と確信しています。

言い換えれば、「ジョニー・リバースの Memphis」を「らしく」コピーで演じられれば、ロケンロールのカッコはつけられるんじゃ〜ないか!?

それは如何にもサイケおやじが十八番の姑息な思い込みであります。

いゃ〜、本当にお恥ずかしい……。

ということで、肝心のジョニー・リバースは、あまり我国では人気も評価も高くないみたいですが、大衆音楽史に鑑みれば、この「Memphis」の他にも「秘密諜報員 / Secret Agent Man」や「僕等の街 / poor side of town」等々の大ヒットを放っていますし、後者におけるソングライターとしての才能は言わずもがな、プロデューサーとしてもフィフス・ディメンションや作編曲家のジミー・ウェッブを世に出した功績は侮れません。

というか、「Memphis」という幾分地味な感じのR&B曲を、ここまで派手に白人ウケするロック曲に改変したアイディアの実践は、そうした音楽的な素養の深みがあったからじゃ〜ないでしょうか?

そのあたりは追々に書いていく所存ですが、とにかくジョニー・リバースほど分かり易くてカッコE〜♪ そういうロックをやれるミュージシャンが過小評価気味というのは、寂しいですねぇ……。

そこでとりあえず、「ジョニー・リバースの Memphis」にシビレて下さいませ。

ギターを手にされる皆様であれば、それをコピーし、一緒に鳴らしながら聴くのも、更に楽しい時間になると思います。

藤本房子の印象

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■俺のせいではないさ c/w 君の故郷へ行こう / 藤本房子&ウッドペッカー (Denon)

声質はボーカリストの一番の武器(?)というのは些か穏やかな表現ではありませんが、印象的な声で歌えるからこそ、プロとして生き残れる現実は否定出来ないでしょう。

例えば本日掲載のシングル盤の主役たる藤本房子はアニメの主題歌やCMソング等々のスタジオの仕事、あるいはアイドルのバックコーラスシンガーとしては有名なボーカリストなんですが、これを出した昭和47(1972)年当時はジャケットにも記載があるとおり、ウッドペッカーと名乗る歌謡フォークグループのメンバーでありました。

しかし、それでもあえて彼女をメインに据えたソロプロジェクトの如きレコードが制作されたのは、ハイトーンのボーカルに微妙なクセを滲ませる節回しの妙が独得の「味」になっているからじゃ〜ないでしょうか。

もちろんジャケ写に彼女だけが登場している理由も、そこにあるわけですが、実際肝心のA面曲「俺のせいではないさ」に針を落してみれば、作詞:有馬三恵子&作曲:森田公一が狙ったのは、ありがちな歌謡フォークかと思いきや、ちょっぴり拭いきれない陰鬱を綴った歌詞にソフトロックとニューソウルが混じり合ったメロディとバックの演奏が、藤本房子の声質にジャストミート♪♪〜♪

告白すれば、サイケおやじは決してリアルタイムでこの歌を聴いていたわけではなく、レコードの存在すらも知らなかったんですが、今年に入って某ネットオークションの場で遭遇し、入手してみれば、これがなんとも素敵な出会いでありました。

で、一方のB面曲「君の故郷へ行こう」はウッドペッカー名義になっているとあって、作詞:有馬三恵子&作曲:加瀬邦彦が提供したのは、如何にも「らしい」フォークロック系の歌謡曲♪♪〜♪

アコースティックギターを程好い彩りに用い、ほとんどワイルド・ワンズが演じてもOKな世界なんですが、どっこい、またまた歌詞がちょっぴりネクラ気味に感じられるのは、この時代ならではというところでしょうか。

ということで、両面共に流行りの歌謡ポップスを意識しつつも、もっと歌謡曲保守本流に接近したような狙いが潜在している気がしますし、それが藤本房子をソロ歌手として売っていこうという戦略だったとすれば、未だどのような彼女のレコードが残されていたのか知る由もないサイケおやじの胸は高鳴るばかり!?

彼女の衣装&ファッションも、その頃の眩しさに満ちていると思っています♪♪〜♪

川崎龍介は幻の二枚目夏男?

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■サマー・ブリーズ / 川崎龍介 (ワーナー / リプリーズ)

そのルックスを決してイケメンとは呼ばず、如何にも「昭和の二枚目スタア」という雰囲気を漂わせる川崎龍介は、残念ながら俳優としても歌手としてもブレイク出来ませんでしたが、本日掲載のシングル盤A面曲「サマー・ブリーズ」を歌ったことで、我国の大衆音楽史にその名を刻した事はまちがいありません。

と、またまたノッケから大袈裟な書き出しになってしまいましたが、それはこの昭和53(1978)年に発売された「サマー・ブリーズ」がユーミンの作詞作曲であり、後に作者自らが歌詞とメロディラインを改変し、「サーフ天国、スキー天国」として人気演目に仕立て上げたのですから、失礼ながら空振りした川崎龍介の真オリジナルバージョンが忽ちにしてコレクターズアイテムになったのは不幸中の幸い!?

実際、サイケおやじはリアルタイムではその事実を全く知らず、ようやく昭和50年代も末頃になって入手に大汗だったという思い出の1枚なんですよ。

そして勇躍、針を落してみれば、まずは波の音のSEが「お約束」ならば、思わせぶりな多重コーラスから一転、ライトタッチのポップスフィーリングが全開した歌と演奏には、トロピカルな打楽器が、これまた「お約束」の存在感として、気分はすっかりフィ〜ル・ソ〜・グッ〜〜♪

もちろん川崎龍介の歌いっぷりも爽やかな都会派というか、すっきりしたところがイメージどおりのニューミュージック歌謡でありまして、後に知ったところによると、どうやら加山雄三の付き人(?)を経てのデビューというのも肯けますし、他にも幾つかの音源を残しているらしいので、もっと聴いてみたいですねぇ〜〜。

なにしろサイケおやじは、これっきりしか川崎龍介のレコードを持っていませんし、しかもサンプル盤扱いでありながら、B面はレーベルが謄写版のローラーインクで潰され、音が入っている溝さえも意図的(?)に大きな傷がつけられているんですからっ!?

まあ、それゆえに安かったという事情も、なんだかなぁ……。

ということで、それはそれとして、こういうミエミエの狙いがど真ん中の季節商品が堂々と作られていた時代こそ、「昭和」の魅力のひとつかと思います。

機会があれば皆様も、こういう屈託ない歌をお楽しみ下さいませ。

今はネットが繋がらない場所から

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出張移動中のため、本日の1枚は休載、ご理解願います。

明日、帰りますね。

案外と罪作りなチェリッシュ

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■ひまわりの小径 / チェリッシュ (日本ビクター)

悔しいけれど、認めざるをえない事象は数多く、特に頑迷なサイケおやじにとっては、そういう行動が尚更に自らの節操の無さを証明するような気がして、自縄自縛……。

例えば、本日掲載のシングル盤A面曲「ひまわりの小径」は昭和47(1972)年夏に大ヒットした、まさに当時の歌謡フォークブームを象徴する人気曲ながら、ロックに青春を捧げていた(?)高校生のサイケおやじには、ど〜しても素直に好きと言えない歌であり、もちろん、こう書いたからには皆様ご推察のとおり、本当は素敵〜♪ と思っていたのが本音です。

演じているチェリッシュは前年にデビューした5人組のグループで、一応はフォーク系と言われながら、きっちりバンド形態を維持していたところに一抹のロックっぽさもあったんですが、それでも売れたのは紅一点のリードボーカリストだった松井悦子=悦っちゃんの声と節回しがあればこそでしょう。

実際それは、せつなくもあり、程好い湿っぽさもありながら、彼女の穏やかなルック同様の清涼感が滲み出ていましたからねぇ〜〜♪

そこに作詞:林春生&作曲:筒美京平の制作陣が狙いを定めたと思う他はない、この「ひまわりの小径」の完全無欠の仕上がりは売れまくって当然でありました。

ちなみに前述したとおり、チェリッシュは自前の演奏が出来たバンドだったんですが、レコーディングではオーケストラや助っ人ミュージシャンが全面に出た作りゆえにグループを維持する必要性も無くなったんでしょうか、同時期にはメンパーチェンジを経て、何時の間にか松崎好孝&松井悦子の二人組となり、ここでも絶妙のボーカルコントラストを聞かせているのは、後に結婚して現在に至るのも、さもありなんですよねぇ〜。

一説によると、チェリッシュをスカウトした時、レコード会社は松井悦子だけを欲しかったそうですが、これまでの活躍やキャリアを回想すれば、結果的に夫婦デュオとして活動させたのは大正解だったように思います。

で、冒頭の話に戻れば、サイケおやじは頑なに軟弱な歌謡フォークを拒絶していた青春時代、実は女性ボーカリストでは松井悦子が本当に好きで、それを公言出来なかったのは後悔……。

まあ、それも青春の迷い道だったと思えば、納得もしていますし、社会人になってから、密かにチェリッシュのレコードを中古屋で二束三文で集めるのも、なかなか人生の味わいを深める作業でしょうか。

ただし40枚は超えるというシングル盤は売れているので、それなりに容易なんですが、LPは中期〜後期になると難関のブツが多いですよ。

また、ベスト盤もリメイクの新録音トラックがあったりして、結局はコンプリートしないと満足出来ないのが、チェリッシュの真相と思うばかりです。

う〜ん、なかなか罪作りな存在ですよ。

そして最後になりましたが、やっぱり筒美京平先生は、良い曲を書きますねぇ〜〜♪

本日は、それを間違いの無い真実と断言させていただきます。

ジョニーは天国へ行った…

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■Nothin' But The Blues / Johnny Winter (Blue Sky)

 A-1 Tired Of Tryin'
 A-2 TV Mama
 A-3 Sweet Love And Evil Women
 A-4 Everybody's Blues
 A-5 Drinkin' Blues
 B-1 Mad Blues
 B-2 It Was Rainin'
 B-3 Bladie Mae
 B-4 Walking Thru The Park

ジョニー・ウィンターが天国へ召されました。

その一生は例え何であろうとも、ブルースに捧げられたものと思うばかりですから、名盤傑作が夥しい中にあって、あえてサイケおやじは本日掲載のアルバムを衷心からの追悼の意を表し、朝一番に鳴らしました。

皆様ご存じのとおり、ジョニー・ウィンターは拭いきれないブルースの魂を持っていたはずで、しかしそれが芸能界というか、ミュージックビジネスの中では己が白人である事も含めて、時代の流れの中で作られたレコードではブルースロックやハードロック、そしてスワンプロックやロッキンソウルに寄っては離れる事の繰り返しがあり、それはファンやリスナーが一番に求める「ジョニー・ウィンターのブルース&ブルースギター」が時には遠くに置き去りにされる現実……。

しかしライプの現場では、堂々のブルース&ブルースロック、そしてエグさ満点のR&RやR&Bを演じ続けていたのですから、そのギャップがジョニー・ウィンターを何時までもスタアとして崇める要因のひとつにしていたと言えば、賛否両論どころか、各方面からの顰蹙罵倒は必至と思います。

それでも実際、1970年代のレコーディングでは圧倒的にライプ音源が素晴らしいのは否定出来ないでしょう。

さて、そんな最中の1977年、いよいよ発売されたのが本日掲載のLPで、結論から言えばブルース界の大御所だったマディ・ウォーターズのバックバンドと共演し、さらには御大自らも特参しているのですから、これでダメなら田舎へ帰る他は無し!?

実はこの背景には、ジョニー・ウィンターが自ら心血を注いだ仕事として、尊敬するマディ・ウォーターズとのコラポレーションがあり、それは前年に作られたマディ・ウォーターズが古巣のチェスレコードからジョニー・ウィンターが契約していたブルー・スカイ・レーベルへの移籍第一弾アルバム「ハード・アゲイン」によってスタートしたわけですが、これが会心の大傑作!

もちろんプロデュースはマディ・ウォーターズの大ファンを公言していたジョニー・ウィンターであり、マディ・ウォーターズにしてみれば、演じたのは自らが常に披露してきたクラシックスという自負もあったと思われますが、おそらくは白人相手に聞かせるにはジョニー・ウィンターの極めてブルース寄りのロックっぽさが良い方向へ働いたのでしょう。

件のLPは、確かグラミー賞も獲得したと記憶していますが、そこでジョニー・ウィンターが自らもコテコテのブルースレコードを作れる環境を得たのは、これまた最高の結果だったんじゃ〜ないでしょうか。

既に述べたとおり、大成功したマディ・ウォーターズのセッションに参加していたメンバーを中心に集められたのがジェームズ・コットン(hmc)、ボブ・マーゴリン(g)、パイントップ・パーキンズ(p)、チャールズ・カルミーズ(b)、ウィリー・スミス(ds) という面々で、彼等は全て、当時のマディ・ウォーターズやジェームズ・コットンのバックバンドではレギュラーでしたから、その迫真の演奏は言う事無し!

ですからジョニー・ウィンターも安心(?)して、忌憚ない歌と演奏に没頭出来たようで、アルバム全篇が本物のブルースにどっぷりですよ♪♪〜♪

しかも驚いた事には、オーラスの「Walking Thru The Park」がマディ・ウォーターズの作品という以外、他の全てがジョニー・ウィンターのオリジナル曲なんですから、「如何にも」の常套手段が用いられながらも、ブルースがブルースである以上、それは本物と納得させられるんじゃ〜ないでしょうか?

もちろん、これがブルースであるか、否かの論争は避けられませんが、少なくとも本気度の高さは圧巻!

まずはマディ・ウォーターズが所縁のシカゴブルース伝来の「音」とでも申しましょうか、ロックぽさが排除されたドラムスの鳴り方、ハーモニカと言うよりもブルースハープというのが正解と痛感されるジェームス・コットンのプレイ、そしてバンド全体の意思の統一感が生半可なブルースロックとは一線を画する密度の濃さだと思います。

そしてそれゆえに、場合によってはジョニー・ウィンターよりも目立ってしまうボブ・マーゴリンのギターや堅実ながらエグ味の効いたパイントップ・パーキンズのピアノも素晴らしく、これが日常の中のブルースの本質ってものかもしれません。

しかし、流石はジョニー・ウィンター!

何時もの暑苦しいボーカルや弾きまくりのギターは抑えめにしつつ、それでも「Everybody's Blues」における艶やかなエレクトリックプレイ、グッと抉り込んでくるようなスライドが見事過ぎる「Sweet Love And Evil Women」、さらにはジャケ写でご覧になれる金属ボディのアコースティックギターを用いて聞かせる「TV Mama」や「Bladie Mae」は、ジョニー・ウィンターならでは「鬼のギター」がたっぷり♪♪〜♪

また、気になるマディ・ウォーターズとの共演トラックは「Walking Thru The Park」の1曲だけですが、御大が歌い、ジョニー・ウィンターがギターを弾いているというだけで震えてしまうほどの期待が見事に実現されてみれば、アルバム全篇のブルース天国が最高の形で締め括られる快感に酔い痴れてしまうのです。

ちなみにマディ・ウォーターズ名義としての共演制作LPは前述した「ハード・アゲイン」の他に「アイム・レディ」「ミシシッピ・ライプ」「キング・ビー」が同じくブルー・スカイ・レーベルから出ていますし、中には現在、所謂デラックスエディション版CDとして鋭意復刻された作品もありますので、興味を抱かれた皆様であれば、ぜひとも聴いてみて下さいませ。

そしてジョニー・ウィンターは以降、特に1980年代に入ると何か「ふっ切れた」ようにブルース色の強いレコードを出すようになったのも、この「ナッシン・バット・ザ・ブルース」を作れた事が大きいように思います。

天才ギタリストとして、そのプレイはロックという白人音楽の中では殊更注目され、その圧巻のテクニックとフィーリングの凄さは衆目の一致するところですが、冒頭に述べたとおり、本人がどんなにロックやソウルに接近したとしてもファンやリスナーがブルースを求めて続けていたのは、まさに幸せな結末というべきでしょうか……。

あぁ、ぶる〜す、そしてジョニー・ウィンターよ、永遠なれ!


これが気持ちの良い理由

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■吹けよ風、呼べよ嵐 / Pink Floyd (/ 東芝)

どうにも異常気象が続く昨今、本日掲載したピンク・フロイドのシングル盤A面曲は些か不謹慎かもしれませんが、しかしサイケおやじ的に視点を変えれば、これはなかなか気持の良い演奏なんですよ。

皆様ご存じのとおり、この曲のオリジナルタイトルは「One Of These Days」、しかも基本はインストなんですが、世界各国できっちりシングルカットされたほどのキャッチーさがあり、それはピンク・フロイドが初めて自力でヒットさせた1971年晩秋発売のアルバム「おせっかい」のA面ド頭に収録されている事でも証明済み(?)かもしれませんが、そのキモは初っ端から強い印象を決定づける風のSE、そしておそらくは複数のメンバーが演じているか、あるいはオーバーダビングであろう、単調で強いビートを打ち出すベースワークにあるような気がします。

それによって「吹けよ風、呼べよ嵐」と命名された邦題もベリ〜ナイス♪♪〜♪

また、インストでありながら、当時のピンク・フロイドとしては覚え易い基本のメロディが如何にもロック保守本流という、属していたプログレからはちょっぴり離れるイメージが滲んでいた事も幸いしていたのでしょうか、それがイヤミになっていなかったのも特筆しておく必要があろうかと思います。

ただし、このシングル盤が出たリアルタイムの1972年においては、明らかにLP優先でロックを聴くのが常態化していたわけで、殊更のヒット曲では無かったわけですが……。

なんとっ!

我国では昭和52(1977)年、全日本プロレスのトップ悪役レスラーとして大活躍していたアブドーラ・ザ・ブッチャーの入場テーマ曲に使われた事から、突発的に大ヒット!?

わざわざジャケットにその旨が記載された再発盤までもが売られるという騒ぎは、プロレスもロックも、その頃が一番に熱かった証左かもしれませんし、実は曲の中間部には「One of these days, I'm going to cut you into pieces(何時か、お前を切り刻むぜ)」なぁ〜んていう、如何にも不気味な叫び声(?)が入っているんですから、イントロの暴風のSE共々、これをチョイスした関係者の目論見には脱帽ですよ。

尤もプロレス会場でも、そこからのテレビ中継でも、実際に問題の叫び声までは流れていなかったと記憶しているんですが、それでも不穏なムードを盛り上げる効果は満点でありました。

さて、しかしながらサイケおやじがこの曲を愛でるのは、またまた不謹慎ながら、聴いているうちに気持良く居眠りモードに入れるからでして、さらに告白すれば、前述したアルバム「おせっかい」全篇においても、まちがいなく安眠に入ってしまうという、これは私的なパブロフの犬!?

あぁ、こんな事を書いてしまっては、本日も各方面から顰蹙やお叱りは必至でしょうねぇ……。

そこまでの覚悟も出来ていないが現在のサイケおやじの心境と立場ではありますが、高校生の時に友人から聞かせてもらって以来、そうした行動実態は今も変わっていません。

ですから「おせっかい」は未だにLPは持っていなくて、大昔に中古屋でゲットしたカセットテープを愛聴(?)しているんですが、ど〜いうわけか昨夜、借りているトランクルームを整理していたら、掲載のシングル盤が出て来たので、急遽のご紹介とさせていただきました。

ということで、やっぱりサイケおやじはピンク・フロイドが苦手のようです。

恥ずかしながら、大ヒットして傑作名盤と認定される「ザ・ウォール」にしても、何が素晴らしいのか、ちっとも……。

いやはや、情けないかぎりです。

夏は向日葵の咲子

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■ひまわり娘 / 伊藤咲子 (東芝)

夏の花と言えば、朝顔か、それとも向日葵か?

という論争が昔っからあったかどうかは知りませんが、個人的には夏のイメージの最右翼は向日葵と思っています。

そこで本日は、あまりにもベタな選曲ではありますが、昭和歌謡アイドルとしては不滅の伊藤咲子がデビューヒットさせた「ひまわり娘」です♪♪〜♪

いゃ〜、まず、なによりもジャケ写に登場している彼女の衣装の向日葵色(?)の統一が素晴らしく、しかも発売当時の昭和49(1974)年としては、ちょっぴり流行から遅れ気味のミニスカでのサービスポーズというあたりも、ティーンアイドルの「お約束」がきっちりですからねぇ〜〜♪

もちろん明るい笑顔は、阿久悠の綴った歌詞と基本が洋楽の証明だったシュキ・レヴィの作編曲には最高の相性ですから、これがヒットしなかったら昭和歌謡曲の神様のお怒りは必至!?

当然ながら、前年にテレビのオーディンション番組「スター誕生!(日本テレビ)」の優勝者という歌の実力とアイドル性の高さが、それを楽々とクリアした事は皆様ご存じのとおりです。

ちなみに前述した作編曲担当のシュキ・レヴィはシュキ&アビバとして昭和48(1973)年の東京音楽祭へ出場し、そこからの流れで「愛情の花咲く樹」という、これぞっ! 昭和歌謡曲本主流の名曲を日本語で歌ったレコードを出し、見事にヒットさせた実績がありますからねぇ〜〜〜。

その日本語の歌詞を担当したのが阿久悠であれば、この「ひまわり娘」が歌謡ポップス愛好者のみならず、広く当時の日本人に受け入れられたのもムベなるかな、伊藤咲子が残したレコーディングには、シュキ・レヴィの作品が幾つかあるのも要注意でしょう。

ということで、こういう穏やかな歌をしっかりと披露出来る伊藤咲子のような女性ボーカリストは現在、なかなか登場してくれません。

そりゃ〜、懐メロ番組あたりで「ひまわり娘」をカバーしてくれる女性の歌手やタレントは時々いますが、伊藤咲子の全盛期を知っていれば、到底満足出来るはずもなく……。

ですから懐かしのアイドル扱いだとしても、伊藤咲子がテレビ等々に出演し、自らの往年のヒット曲を歌ってくれるのは嬉しくも面映ゆい気分であります。

あぁ、そういう時にさえ、「ひまわり娘」は心に滲み入るのでした。

麻丘めぐみの邦楽夏ディスコ♪

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■夏八景 / 麻丘めぐみ (日本ビクター)

夏の歌といえば、これも忘れられないのが、麻丘めぐみが素敵な「ワキ見せ」ポーズでキメてくれるジャケ写も眩しい本日掲載のシングル盤A面曲「夏八景」でありましょう。

なにしろ曲タイトルからして夏真っ盛り!

しかも歌われているのが所謂「日本の夏」の風情を綴った阿久悠の作詞であり、加えて筒美京平の作編曲が発売された昭和51(1971)年の流行最先端だったディスコ歌謡がど真ん中!

あらためて述べさせていただければ、当時の筒美京平は自らの変名プロジェクト「Dr. ドラゴン&オリエンタル・エクスプレス」名義で本場のディスコ物に敢然と挑戦し、「セクシー・バス・ストップ」等々で見事な成果を披露していた頃で、それは同曲を浅野ゆう子がカバーした大ヒットでも証明済みでしたから、類似企画が以降から続出したというわけですが、しかし、この麻丘めぐみの「夏八景」は流石に一味違います。

まず、強烈なグルーヴに満ちた演奏パートのサウンドの作りが予想外に軽く、しかし反面、麻丘めぐみのボーカルが不思議と「ねちっこい」感じなんですねぇ〜〜〜♪

そして当然ながらメロディに仕込まれた日本的な感覚、演歌モードとは異なるオリエンタルな昭和歌謡の旋律の微妙な歪みが強い印象を残している気が!?!

ですからストレートな洋楽系ディスコ歌謡を期待すると肩すかしだと思いますし、特に後追いで楽しまれんとする皆様にとっては尚更でしょう。

ところがリアルタイムでは、これが如何にも新しいフィーリングで、極言すれば進み過ぎていた感じもあったんじゃ〜ないでしょうか?

ご存じのとおり、その頃の彼女は安定期というか、失礼ながら女の子アイドルとしては限界点に近くなっていたのが衆目の一致するところだったとすれば、それまでのハートウォームな声質を活かした優しい節回しが、ここではイマイチ裏目だったのか、あるいは斬新な傑作であったのかは、十人十色の好き嫌いかもしれません。

ちなみにヒット状況は「それなり」とだけ書いておきますが、サイケおやじは、なかなか好きですよ、これが♪♪〜♪

いゃ〜、聴くほどに図太く暴れるベースやニューソウルがど真ん中のストリングスアレンジ、そしてクラヴィネットやリズム&サイドギターの存在感が好ましいのは、堅実なサポートに徹するドラムスの「味」のプレイがあればこそ、麻丘めぐみのボーカルが、たまらなく愛おしいですねぇ〜〜♪

あらためて筒美京平の凄さ、恐ろしさ(?)を実感させられる名曲名演、そして名唱だと思います。

ということで、ここで彼女も歌っているように、「夏はいろいろです ほんとに」ですから、今年もサイケおやじには様々な予感が、良くも悪くも浮かんでは消えます。

暑さは、いよいよこれからが本番!

どうか皆様、ご自愛の夏をお過ごし下さいませ。

渚のキラーズは何処に…

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■渚のハーモニー / ニュー・キラーズ (キングレコード)

ジャケ写も曲タイトルも、如何にもの夏向き!

と思わせておいて、なかなか強烈な肩すかしをキメられたのが、本日掲載のシングル盤A面曲「渚のハーモニー」でありました。

演じているニュー・キラーズはご存じ、ピンキーとキラーズのキラーズ、つまりジョージ浜野(g,vo)、エンディ山口(g,vo)、ルイス高野(b,vo)、パンチョ加賀美(ds,vo) の4人がピンキー=今陽子と別れた後に結成した新グループで、フロントにはジャケ写に登場している小林美也子と江口佐枝子の女性ボーカリストを2人立てたのですが、奮戦及ばず、昭和49(1974)年頃には解散したと言われています。

もちろん、こう書いたのは、サイケおやじがニューキラーズを全く見た事がなかったからで、確か前述したピンキーとキラーズから今陽子が抜けての同グループ解散が昭和47(1972)年春頃だったはずと思えば、現実の厳しさを痛感させられる次第です。

で、このシングル盤は昭和48(1973)年に発売されたもので、問題(?)の「渚のハーモニー」は作詞:山上路夫&作曲:森田公一、そして編曲:馬飼野俊一のクレジットがあれば、爽やか系ソフトロック調の歌謡ポップスであろうというリスナーの期待とは裏腹に、なんとっ!

これがハードロッキンなソウル歌謡がど真ん中!?!

殊更ニューソウルなパーカッションや黒いオルガン、強めのギターを用いたアレンジは、どこが「渚の〜」なんだぁ〜〜!?!

ってなもんですよ。

しかし、そこに拘らなければ、これはなかなかイケてる仕上がりで、結局はジャケ写と曲タイトルのイメージが目論見違いだったという事なんでしょう。

そして、こういうものが日常的に作られていた昭和歌謡曲の世界をあらためて再認識、そのイケイケのパワーこそが、現代に求められているような気がするほどです。

ということで、付け加えるならば、売れなかったニュー・キラーズ同様、今陽子になったピンキーにしても、目立った大ヒットが出せず、テレビ出演等では売れまくったピンキーとキラーズ時代の演目ばかりを歌い続けているのは、これまたなんともせつない現実……。

時折に再編され、懐メロ巡業やテレビ出演等々も行っているピンキーとキラーズに接する度に、サイケおやじは、その間に存在したニュー・キラーズにますますの興味を抱くわけで、実は掲載の私有盤も昭和50年代末頃に後追いの中古ゲットが真相なのです。

うむ、ニュー・キラーズのレコードは何枚出たのかなぁ〜〜?

という疑問云々も含めて、今陽子のソロレコーディングやニューキラーズの音源、さらにはピンキーとキラーズの公式未発表レアリティーズを纏めた決定的なアンソロジーが編まれないかなぁ〜〜〜〜。

そんなこんなの願いを思う夏であります。

困ったもんだです

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旅行中、おまけにスマホはバッテリーが不調、PCは熱中症みたいです……。

う〜ん、散財モードに入りそうだぁ〜〜〜〜〜。

ということで、本日の1枚は休載、ご理解下さいませ。

失礼致しました。

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