■黄色いレモン / Gus Bakkas (Polydor / 日本グラモフォン)
昨日述べたとおり、故・筒美京平の残した夥しい傑作メロディの中で、最初にレコード化されたのは「黄色いレモン」だったんですが、諸事情からクレジットは師匠であった「すぎやまこういち」名義になってはいたものの、やはり楽曲の新鮮さがあったからでしょうか、発表された昭和41(1969)年以降、様々な歌手やグループによって所謂競作盤が作られています。
しかも特筆すべきは、外タレによって吹き込まれたレコードが、サイケおやじの知る限りでも4枚ほどあり、当然ながらカタコトがウリの日本語バージョン、意訳も含めた英語バージョン、さらにはインストバージョンまでも作られているのですから、それもこれも筒美京平には基本的に洋楽指向があったからだと思います。
で、その中からサイケおやじが特に気に入っているのが、本日掲載したガス・バッカスのバージョンで、シングル盤の両面は共に「黄色いレモン」が収録されているわけですが、まずA面はガス・バッカスが「For I Smile 'Cause I Think Of You」のサブタイトルで自らが歌詞をつけた英語バージョン!?!
そしてB面は外タレ盤には定番の「カタコト」日本語バージョンになっておりまして、当然ながら作詞のクレジットは橋本淳になっているんですが、アレンジに関しては両方共に記載がありません。
しかし、このシングル盤の発売元が当時の筒美京平=渡辺栄吉が洋楽担当のディレクターとして勤務していた日本グラモフォンである事から、もしかしたら筒美京平が自らの仕事かもしれません。
実際、原曲の基本はフォークロック調の歌謡曲ではありますが、このガス・バッカスのバージョンは、望月浩や藤浩一のバージョンよりは僅かに黒っぽいソフトロック調に仕上がっている様に思います。
ちなみに、ガス・バッカスは我が国では青山ミチのカバーバージョンでもお馴染みの「恋はスバヤク / Short On Love」の大ヒットで知られる存在ですが、その後は鳴かず飛ばずと申しましょうか、そのプロフィールにしてもドイツを中心に欧州で人気を集めていた歌手という程度しか流布していなかったのが当時の我が国での実情でした。
しかし、後にサイケおやじが知ったところでは、本来はアメリカ人らしく、1957年に「Come And Go With Me」のメガヒットを飛ばした白黒混成のコーラスグループとしては音楽史にその名を刻すデル・ヴァイキングスのメンバーだったというのですから、これまたクリビツテンギョ~~!?
ところが順調に芸能活動をやっている最中、徴兵され、ドイツに駐留した時に吹き込んだのが前述「恋はスバヤク / Short On Love」たそうですが、結果として、この楽曲が流行ったのは我が国だけだったと云われています。
ただし、ガス・バッカス本人のドイツでの人気は相当に高かった様で、同国でのヒット曲は、1990年代に入ってもベスト盤が売られていたほど多いみたいですよ。これはサイケおやじが、その頃のドイツのレコード屋で接した実情です。
あぁ~~、今となっては、それを買ってこなかったのが幾分の心残りであります。
閑話休題。
ですから、もしも筒美京平がガス・バッカスのレコーディングに関与していたとしたら、ちょっとしたR&Bっぽさ隠し味にしたのも、納得する他はありませんが、果たして真相はっ!?
ということで、ソングライターとして活動し始めた時から既にしての洋楽指向は言わずもがなの好例が、このガス・バッカスが歌う「黄色いレモン」かと思います。
そして、同じ楽曲でも、その汎用性の高い作風こそが、なんでもありの昭和歌謡にはジャストミートしていたと思えば、自ずと業界からの注目度も高まっていたと思われます。
「創作家は処女作に収斂する」の至言は、天才たる筒美京平を以って証明されるのでしょうか?
不遜ながら、その答えを見つける作業も、これまた楽しいレコード鑑賞の日々と思うばかりです。