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昭和47年10月からのストーンズ

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■ローリング・ストーンズは来なかった / 西郷輝彦 (クラウン)

すっかり齢を重ね、今や介護保険料を徴収される身分となったサイケおやじの思い出の中で、ちょうど今頃の時期になると蘇ってくるのが昭和48(1973)年の正月明けに勃発したローリング・ストーンズ来日中止事件です。

えぇ~~っ! まだ今は10月でしょう~~? なんで今頃にっ!?

という皆様の声がはっきりと聞こえてまいりますが、サイケおやじとしては、その事件の一切合切が昭和47(1972)年10月3日から始まっているのです。

それはストーンズが来日するらしいぞっ!

という大ニュースを最初に耳にしたのが、ちょうど48年前の今日であったというだけの事なんですが、しかし未だ純情だったサイケおやじにしてみれば、途轍もない朗報でありました。

もちろん、皆様ご存知のとおり、その初来日となるはずだったストーンズの武道館公演は中止に追い込まれたわけですが、やはり……、あらためて当時残していた「日記もどき」のメモを確認しながら、その状況を書き記しておこうと思います。

で、前売りチケットが発売される期日が12月1日と発表され、ただし思い出してみると、これは正式チケットじゃ~なくて、「特別予約券」という扱いで、本物のチケット販売は12月3日からと定められていたんですが、そんなのカンケーねぇ~~!

とばかりに、とにかく発売場所とされた渋谷の東急本店へ行ったのが、11月30日の朝で、つまりは学校なんかサボっていたんですねぇ~~。

そして当然ながら、その場には既に長い行列が出来ていて、一応連番の整理券が配布され、定期的に点呼する云々という規則はあったんですが、誰もそんなものは信用していないという雰囲気が蔓延し、列を離れて帰宅するなんて者は極少数だったみたいですし、さらに夕方近くになると、雨が降り出すという最悪の事態でした。

なんたって、季節は晩秋というか、ほとんど冬でしたからねぇ~~、その場の異様な熱気は確かにありましたが、寒いのが本音で、そのうちにデパートそのものが閉店するし、野郎どもの中には、そのあたりで立ちションしたり、酒飲んでゲロ吐いた末に倒れる様に寝込んでしまう奴も……!?

ですから、店側も事故を恐れたんでしょう。

地下駐車場へ列を誘導し、そこからはもう、ある種のどんちゃん騒ぎです。

ストーンズの曲を合唱したり、麻雀やトランプをやるグループがいたり、毛布やダンボールに包まっている擬似ホームレスとか、未成年の飲酒さえも堂々と罷りとおるというか、そんな状況ですから、婦人警官が補導に来て、制服姿の女子高生なんかは無慈悲に引っ張り出されたり、逆ギレしてポリ公を殴ったり、もはや犯罪と現実がゴッタ煮だった様な記憶が残っております。

そして、ついに夜が明けて、おそらくは午前10時頃からだったと思うんですが、ようやく表のチケット発売所へ向けて列が動き出し、それをサイケおやじがゲットしたのは既に昼前になっていたんですが、既に述べたとおり、渡されたのは、あくまでも「予約券」で、申し込み書に住所氏名等々を書かされたカーボーンコピーみたいな紙切れが、その実態でした。

ちなみに入手出来たのは、1月30日の公演です。

ところが、本当に浮かれていたのは、この日までで、帰宅すると学校をサボっていた事は既にバレていたもんですから、たっぷりと母親から叱られ、それでも行き先は言わずにダンマリとおしたのが、サイケおやじの意気地とお笑いくださいませ。

何故ならば、その日は学校帰りに友人の家へ泊まり込んで、勉強(?)なぁ~んていう、歯の浮く様な嘘を重ねていたんですから……。

しかし、それはそれとして、チケット販売騒動の熱気も冷めやらぬ時期の12月中頃、ど~にもストーンズの来日に暗雲が!?

みたいな不穏な噂がジワジワと広がって来て、とうとう……、翌年正月明けには、ストーンズには来日のビザが下りない!?!

理由は悪いクスリ云々という、それは当時のサイケおやじの感覚すれば、あまりにも無慈悲で理不尽な現実で、そ~した報道が各社からあったと記憶していますが、同時に何人かの政治家や外交官も、それに関連した動きを表面化させる等々、呼び屋の「ウドー音楽事務所」も必死だった事は確かに認められました。

しかし、それでも結果は皆様ご存知のとおり……。

せっかく入手したアリーナ席、二千ハ百円のチケットを空しく払い戻したのは、今となっては後悔の極みではありますが、でもねぇ……、当時は小遣いも乏しく、そのお金が忽ちレコード代に化けたのは皆様ご推察のとおりです。

そして、今にしても拭いきれないのは、あの東急本店前の行列騒ぎって、なんだったのかなぁ~~?

という気持ちでありまして、青春の思い出の様でもあり、現実の厳しさを痛感させられた社会勉強という側面もございましょうが、あの日を境に自分はっ! なぁ~んて事は、サイケおやじには言えるはずもありません。

それでも、ひとつだけ確かに残ったのは、件の騒動によって、あらためてストーンズが日本中で有名になった事だと思いますねぇ~~~!

もちろん、洋楽ファンにとっては当時のストーンズは全盛期の輝けるバンドであり、ビートルズが活動を停止していた事もあり、正に世界一のロックグループという認識に間違いは無かったのですが、一般的な日本人にとってのストーンズは、常に何でも一番のビートルズからは大きく水をあけられた存在に過ぎなかったという感があり、それが突如としてマスコミのトップニュースに登場するなんてこたぁ~~、全く青天のなんとやらっ!?

実際、ラジオや盛り場の有線からは以前にも増してストーンズの歌や演奏が流れ出しましたし、来日中止騒動の後に発売された新曲「悲しみのアンジー / Angie」は、世界に伍して我が国でも大ヒット! 当時はアイドル歌手でさえも、テレビやライブステージでカバーバージョンを披露していたんですよっ!

また、これも説明不要とは思いますが、昭和54(1979)年にはストーンズ来日を政府に脅迫する傑作映画「太陽を盗んだ男(長谷川和彦監督)」が沢田研二を主演に迎えて制作公開される等々、関連事象が数多く残されたのも、印象深いというところでしょう。

そこで本日掲載したのは、そのひとつである怪作にして大名(迷)作「ローリング・ストーンズは来なかった」をA面に入れたシングル盤でして、それを演じているのが既にして大スタアであった西郷輝彦なんですから、たまりませんっ!

発売されたのは昭和48(1973)年6月で、その頃にサイケおやじはラジオの深夜放送で最初に聴いた瞬間、悶絶して呆れた記憶が今も鮮明に残っています。

オルガンメインのラテンロック調のイントロから、定番とも言える歪み系のギターとは対照的に落ち着いた節回しこそが、日本歌謡界御三家のひとりとして大活躍した西郷輝彦の個性全開の証でありましょうし、歌詞の中にはジャニス、キャロル、ディラン、ボラン、ローリング・ストーンズ、ジョン・レノン、サンタナ、シカゴ

まさにロック界スーパースタアの名前が飛び出して来るんですが、歌の世界観が、ど~にもイジケているというか、売れない芸能人が、何時かは彼等の様な大物になってやるっ! という決意表明にしては、湿っぽいんですねぇ……。

もちろん、サウンド的にはサンタナウォーからの「いただき」が存分に楽しめますし、蠢くベースに鬱陶しさ寸前のコーラスも含めて、決して嫌いな企画ではないんですが、なんだかなあ……。

ちなみに作詞作曲&編曲は、我が国歌謡界ではマニアックな領域においての天才と認定される藤本卓也ですから、大袈裟も暑苦しさも、それなりに極まってはいるんでしょうが、それを西郷輝彦に歌わせてしまうというプロデュースは当時、不可解と言えば、そのとおりであり、しかし冷静に考察してみれば、ちょうど同じ頃から俳優として、いよいよ大ブレイクしつつあった事は今や歴史!

それはテレビドラマ「どてらい男」の大ヒットから、さらに時代劇のスタア俳優として、今日まで数えきれない名演を残しているわけですから、そんな芸能活動の端境期(?)の仇花として、この「ローリング・ストーンズは来なかった」を聴くのも、現代の楽しみなのかもしれません。

ということで、ストーンズ初来日中止騒動について、あれやこれやと思い出してしまったのも、実は掲載したシングル盤が片付けをやっていた自室で発見(?)されたからでして、シミジミ聴けば、これはこれで日本のロックの名曲にして名唱と思うばかりなのでした。

さあ、これからちょいと、本家ストーンズでも聴こうかなぁ~~~♪


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